日経はコンテンツをユーザーに送り届けるという使命を果たすために、新技術への投資を積極的に行なってきました。

1960年代には、紙面のファクシミリ送信、相場表の細かい数字の鋳造技術の開発、パンチカードによるコンピューターの利用などの技術革新に次々と取り組み、新聞協会賞の技術部門賞を何度も受賞しています。

なかでも、現在の日経の基礎を作る技術の伝統は、新聞制作へのコンピューターの導入です。

67年には社長室直轄の「電子計算機部」を新設。事務処理、新聞制作、新聞編集での経済データ利用、などの分野でコンピューター活用の可能性を探り始めています。



データバンク構想とNEEDS誕生

その中で最初に実を結んだのは「データバンク事業」でした。

東京データバンク局

新聞紙面で報じるために収集した企業の株価や決算数字を蓄積する仕組みを整備するところから始まり、上場企業の有価証券報告書からもデータを取り込み、コンピューターで財務分析を行えるようにしました。

記事データ検索のためのシソーラス(類語辞典)を開発したほか、データ統合のための産学官横断の組織の設立、マクロ・ミクロ経済分析のための様々なモデル開発、金融機関や海外のベンダーとのデータ交換網の整備も進めました。

こうして「経済に関するあらゆる情報を需要者側の状況に応じてさまざまな形で提供するという、従来の新聞発行一本の経営にはなかった新しい社会貢献」を行うという決意のもと、1970年9月、社外へのサービス提供開始が決まります。

「NEEDS(Nikkei Economic Electronic Data Service)」と名付けられたこのサービスはコンピューターによる情報サービスの先駆けとして、金融機関などを中心に導入が相次ぎ、現在でも日経の重要な事業の柱となっています。



QUICKと日経平均株価

73年には4大証券会社などと合弁で市況情報センター(現・QUICK)を設立しました。卓上の小型テレビ端末で、証券取引所の立会い場と同様のリアルタイム株価が入手できる「クイック・ビデオ−1」は証券投資の世界に革命を起こしました。

75年には現在の日経平均株価の前身である日経ダウ平均の算出も始めています。

これら一連のデータ事業は、新聞、雑誌といった記事コンテンツと異なる新分野であり、新聞社としては未知の領域への船出でした。

ただ中外商業新報の創業のきっかけが、政府が独占していた経済データを民間に広く供給するものであったことを考えると、データ事業は日経の源流であり、その使命はいつの時代も変わらないといえます。



新聞制作の「アポロ計画」

一方、72年には、コンピューターを利用した新聞製作システム「ANNECS」(Automated Nikkei Newspaper Editing & Composing System)も完成させました。人間が手作業で鉛の活字を選んで紙面を組み上げる従来の制作プロセスを、コンピューターのデジタルデータで置き換えることは、当時まだ世界のどの新聞社も取り組んでいませんでした。

日経新聞制作システム

複雑な新聞制作の工程を刷新するには、写真植字(写植)の導入、 5万6千字のフォントデータの作成、写真製版用のディスプレイ・データパンチャー・リーダーなど新機器の導入、といった多くの課題を乗り越える必要がありました。

開発パートナーとなった米国の開発会社首脳が「我が社が手がけた米航空宇宙局のアポロ計画にも匹敵する難事業」と語るほど開発は困難を極めましたが、完成した新システムは新聞製作のコスト低減・迅速化に大きく貢献しました。

日経電子版の誕生へとつながるデジタル化の歴史は、約50年前のこの時から始まっています。