1986年から88年まで通産省(現経産省)事務次官を務めた。現代の市場が「美感遊創(美的センス、感性、情緒豊かな遊び、独創的文化)」に価値を置くようになったと表現したのは有名。
その後、神戸製鋼所副社長に転身。装置産業から創知産業へ――。素材から電子部品などの知識集約型産業へのシフトを説いた。
94年には電通総研所長に就任。知を融合し新しい価値を生み出す「融知創新」を日本人が発揮すべきと語る。日中経済知識交流会には93年から参加。70歳。