実務優先を掲げるメガワティ新政権の要として、同国の経済改革プログラムににらみを利かせている。
国立インドネシア大学経済学部長を経て、駐米大使を務めた。スハルト政権には批判的だったが、豊富な人脈や学識を評価する声は当時から多かった。
国際機関との交渉も巧みにこなす。就任直後、国際通貨基金(IMF)との融資再開交渉をまとめ上げ、メガワティ政権に対する国際的な承認を取り付けることに成功した。62歳。