■パーソナル |
1939年7月9日フィリピン国カガヤン県アパリで生まれる。
元国連事務官のカズコ I. シアゾン(青山学院にて学士課程卒業、マサチューセッツのレスリーカレッジにて特殊教育修士課程卒業)と結婚。息子が二人。
ダン : ジャフコ インベストメント シンガポール 副社長
ケン : リーマン ブラザース シンガポール 副社長
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■学歴 |
1979 マサチューセッツ・ハーバード大学にて行政学修士
1978年より1979年まで、エドワード S. メイソン発展途上国政策マネージメントプログラム・フェローとして、ハーバード大学ジョン F. ケネディー スクールにて経済開発マネージメントを専攻。
1978 コロラド州ボルダーのコロラド大学にて経済学終了証
1978年夏、コロラド大学において経済学コース終了。
1964 東京教育大学において物理学学士
1960年より1964年まで、文部省の留学生として在籍。
1960 東京外国語大学より日本語熟練証明書
1959年より1960年まで、外務省留学生のための日本語コースを受講・終了する。
1959 マニラ・アテネオ大学卒。政治科学学士
1959年、成績優秀につき銀メダル授与。
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■外交官としての職歴 |
2001年9月5日 駐日フィリピン特命全権大使
2001年1月21日 フィリピン外務省より大使に任命される。
1995年−2001年 フィリピン外務長官
1995年5月1日 フィデル V. ラモス大統領より任命。
1998年6月30日 ジョセフ E. エストラーダ大統領より再任命。
2001年1月20日 辞任。
1993年−1995年 駐日フィリピン特命全権大使
1993年2月1日 フィデル V. ラモス大統領より任命。
1985年−1993年 国連工業開発機関(UNIDO)事務局長(ウィーン)
1985年8月に選任、1989年に再選任される。
国連におけるフィリピン最高位職を、1993年1月31日、
駐日フィリピン大使に赴任する為に、辞任した。
1982年 国際原子力機関(IAEA)総会 議長
1980年−1985年 駐オーストリアフィリピン大使
1980年3月駐オーストリアフィリピン特命全権大使に任命される。同時にウィーンにある国際原子力機関(IAEA)及び国連工業開発機関(UNIDO)のフィリピン代表を兼務。
1979年−1985年 国際原子力機関(IAEA)及び国連工業開発機関(UNIDO)のフィリピン特命全権大使(駐ウィーン)
1973年−1978年 代理大使(ウィーン)
1973年より1978年まで、駐オーストリアフィリピン大使館の代理大使を務める。同職に、キャリアー外交官としての初任官。
1968年−1973年 駐スイス・フィリピン大使館二等書記官兼領事
スイスのベルンにあるフィリピン大使館にて二等書記官 兼領事
1964年―1968年 駐日フィリピン大使館
1966年フィリピン外務省の外交官試験に合格し、三等書記官及び副領事として、駐日フィリピン大使館に勤務。これに先立ち、1964年より同大使館で、外交官としてのキャリアーをスタ―ト。事務職員、資材担当官、経理担当官などを務める。
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■出版物 |
・「21世紀への準備:フィリピン外交政策のチャレンジ」
(ドミンゴ L. シアゾン外務大臣のスピーチ/1995年5月1日―1996年4月30日)出版社:フォーリン サービス インスティテュート、フィリピン
・「フィリピン外交政策のチャレンジと新時代へのオポチュニティー」
(ドミンゴ L. シアゾン外務大臣のスピーチ/1998年5月―2001年1月)出版社:フォーリン サービス インスティテュート、フィリピン |
■賞・勲章 |
1998年 チリ共和国より メリット・デ・チリ大勲章
1998年 フィリピン共和国より シカツナ勲章ダツー階級叙勲
1995年 アルセンチン共和国より サンマルティン・エルリベルタドール勲章
1995年 日本政府より勲一等旭日大綬章
1988年 セネガル共和国よりナショナル・デュ・リオン大勲章
1986年 コートジボワール共和国より コートジボワール国民大勲章
1985年 オーストリア共和国功労勲章金大綬章
1997年 日比友好協会よりメダル・オブ・メリット |
■所属クラブなど |
日本ハーバード大学ケネディースクール同窓会(KSGJ)
イースト・リッジ・ゴルフクラブ
サウスウッズ・ゴルフ・アンド・カントリークラブ
フィリピン外務省ゴルフクラブ
2004年より平成会(日本語の話せる駐日大使の会)会長
2004年よりガストロノミッククラブ(フランス語の話せる駐日大使の会) |