「アジアの未来」
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リー・クアンユー氏
シンガポール上級相

新世代の後見役 自負

 昨年9月で80歳になった「シンガポール建国の父」。1990年までの31年間、首相として独断的ともいわれる強力な指導力を発揮し、同国を先進国並みの経済水準に引き上げた。東南アジア諸国連合(ASEAN)のリーダーの一人として東南アジアを引っ張ってきた経験と実績から、欧米や中国でも「アジアのご意見番」として一目置かれる存在だ。

 国政への参加意欲は今も旺盛。「新世代は私が構築したシステムを維持するだけでなく、次の発展段階へ進めるだろう」。昨年の80歳の記念式典でこう発言。若い指導者層に発破をかけた。

 将来の同国の競争力維持に心を砕く。産業の根幹をなす物流ハブ機能を損なわないようシンガポール航空の人員削減などの必要性を説く。

 長男のリー・シェンロン副首相兼財務相は年内にもゴー・チョクトン首相からバトンを受ける見通し。リー上級相は「役に立てる限り閣内にとどまる」とシェンロン氏の補佐に意欲を示す。

 「閣僚として貢献できなくなっても議員は生涯続ける」と語る上級相の念頭には、80歳の首相退任後も議員を続けた英国のチャーチル元首相の姿があるようだ。80歳。



1923年9月16日生まれ
■学歴
シンガポール、ラッフルズ・カレッジ卒業
1942-45年日本による占領期をシンガポールおよびマレーで過ごす
1946-49年英国ケンブリッジ大学フィッツウイリアム・カレッジ(1969年名誉特別研究員)
1946-50年英国ミドル・テンプル法曹院(1969年法廷弁護士資格、1969年名誉評議会)
■職歴
1951年弁護士開業。複数の労働組合の法律顧問に
1954年人民行動党(PAP)設立に参画。同党書記長となり、1992年11月まで在任
1955年タンジョン・パガール地区から総選挙に立候補し当選。以降引き続き同地区選出議員として現在に至る。
1959年総選挙でPAPが議席総数51のうち43を占めて第一党となった結果、首相として組閣
1963年総選挙でPAPが51議席中37議席獲得の勝利に導く
1963-65年63年9月マレーシア連邦会議のシンガポール代表15名の1人となり、65年8月にシンガポールが連邦を脱退するまで在任
1990年首相辞任。ゴー・チョクトン後任首相の任命により上級相に就任

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