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ハワード・H・ベーカー氏
アメリカ合衆国 特命全権大使

  ハワード・H・ベーカーは、2001年6月26日、第26代(戦後第13代)駐日米国大使として宣誓を行い、7月5日、天皇陛下に信任状を捧呈し、駐日大使としての信任を受けた。

1967年1月から85年1月まで連邦上院議員、また1987年2月から88年7月までレーガン大統領の首席補佐官を務めた。1925年11月15日、テネシー州ハンツビル生まれ。

 サウス大学とチュレーン大学で学んだ後、テネシー大学で法学士号を取得。第2次世界大戦中、米海軍に3年間在籍。その後、祖父が設立した法律事務所(現在、同事務所はテネシー州最大手)に勤務した。

 1966年、テネシー州の一般選挙で、共和党員としては初めての連邦上院議員に選出され、その後、1972年と78年に大差で再選された。(ベーカー大使の両親は、共に連邦下院議員を務めた。義父の故エバレット・ダークセンは、1959年から69年まで共和党上院院内総務を務めた)。

 1973年、ウォーターゲート事件の上院特別委員会副委員長として、その名が全国的に知られる。1976年、共和党大会の基調演説を行い、1980年には、共和党の大統領候補指名選挙に出馬した。上院で少数党院内総務を2期(1977年から81年)、そして多数党院内総務を2期(1981年から85年)務めた後、議員生活に終止符を打った。

 1976年には、米国の国連代表団の一員となり、1985年から87年および1988年から90年まで大統領対外情報諮問委員会の委員を務めた。また、外交問題評議会、ワシントン外交問題研究所の会員でもある。国際政策フォーラムの理事と戦略国際問題研究所の国際顧問も務めている。

 ベーカー大使は、数多くの賞を受けている。1984年には、米国で文民に与えられる最高の栄誉である大統領自由勲章を受章。1982年には、選出あるいは任命された公務員による最も優れた功績に対するジェファーソン賞を受賞。写真家としても知られ、1993年には全米写真家協会国際賞を受賞し、1994年にはフォト・マーケティング協会の名誉殿堂入りを果たした。エール大学、ダートマス大学、ジョージタウン大学、ブラッドレー大学、ペッパーダイン大学、センター・カレッジを含む、数多くの大学から名誉学位を授与されている。

 ベーカー大使は、以下の4冊の本を出版している。No Margin for Error (1980年)、Howard Baker's Washington (写真集1982年)、Big South Fork Country (写真集1993年)、Scott's Gulf (写真集2000年)。

 ベーカー大使は、1996年12月7日、カンザス州選出の共和党前上院議員ナンシー・ランドン・カセバウムと再婚。病死した先妻、ジョイ・ダークセン・ベーカーとの間に2人の子供(シンシア・ベーカーとダレク・ダークセン・ベーカー)、そして4人の孫がいる。


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