「アジアの未来」
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3日の概要
見えてきた発展モデル

 東アジア経済の新しい発展モデルの輪郭が見えた気がした。10回目となった「アジアの未来」では経済統合を加速する具体的な提案が相次ぎ、各国政府が「東アジア共同体」の実現に向けて行動を起こす機が熟してきたことを強く印象づけた。

 「日中韓が他のアジア各国に対し協調姿勢を明確に示すことが重要だ」。中曽根康弘元首相は、北東アジア3カ国首脳が定期的に三者会談を開くという私案を披露した。

 日中韓が影響力を競い合うのではなく、均衡を保ちながら指導的な役割を果たす――。提案の背景にあるのは、EU以上に複雑なアジアの文化と歴史への視点である。

 ASEAN各国には、台頭する中国への脅威論が根強く残る。一方、第二次大戦の歴史から日本の突出にも抵抗感がある。東アジアが一体感を築く上で、各国間の信頼感の欠如が大きな壁となっていたのは事実だ。

 会議では日中韓の協調への期待表明が相次いだ。アブドラ首相は経済統合の枠組みについて「ASEANプラス3カ国が望ましい」と主張。北朝鮮問題を含めて北東アジア安定に向けた日本の外交努力が、経済連携の条件となることが改めて浮き彫りとなった。

 日本経済が力強く成長し続けた1980年代には、先頭の日本を各国が追う「雁行(がんこう)モデル」が語られた。90年代には、米国の影響力を前提とするアジア太平洋経済協力会議(APEC)が、経済連携を協議する主な舞台だった。

 だが、97年のアジア経済危機や2001年の米同時テロ、03年のイラク戦争を経て、アジアの経済連携を巡る環境は大きく変わった。

 最大の変化は米国の姿勢である。ブッシュ政権はアジアの域内協調に介入姿勢を弱め、二国間のFTAや通貨安定を目指した通貨機関の創設など、アジア各国が独自に議論を深めることができるようになった。

 第二の変化は中国の台頭だ。中国は世界貿易機関(WTO)に加盟し、グローバル経済に組み込まれた。今回の会議で最も熱を帯びたのも、日本と並び世界経済の巨大なプレーヤーとなった中国とどう向き合うかという議論である。日中両国の協調なくして東アジア共同体の実現はありえない。

 各国の指導者の講演では、今年5月に25カ国体制を実現した拡大EUを意識した発言が目立った。互いに戦火を交えた欧州各国が経済統合への一歩を踏み出したのは1950年。英仏独3カ国を軸に、50年以上の歳月をかけて努力を続けた欧州の実績を目の当たりにして、アジアの指導者の間で共同体の現実味が一段と高まっている。

(編集委員 太田泰彦)

[6月4日/日本経済新聞]

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