1923年9月16日生まれ |
■学歴 |
シンガポール、ラッフルズ・カレッジ卒業 |
1942−45年 | 日本による占領期をシンガポールおよびマレーで過ごす |
1946−49年 | 英国ケンブリッジ大学フィッツウイリアム・カレッジ(1969年名誉特別研究員) |
1946−50年 | 英国ドミル・テンプル法曹院(1969年法廷弁護士資格、1969年名誉評議会) |
■職歴 |
1951年 | 弁護士開業。複数の労働組合の法律顧問に |
1954年 | 人民行動党(PAP)設立に参画。同党書記長となり、1992年11月まで在任 |
1955年 | タンジョン・パガール地区から総選挙に立候補し当選。以降引き続き同地区選出議員として現在に至る。 |
1959年 | 総選挙でPAPが議席総数51のうち43を占めて第一党となった結果、首相として組閣 |
1963年 | 総選挙でPAPが51議席中37議席獲得の勝利に導く |
1963−65年 | 63年9月マレーシア連邦会議のシンガポール代表15名の1人となり、65年8月にシンガポールが連邦を脱退するまで在任 |
1990年 | 首相辞任。ゴー・チョクトン後任首相の任命により上級相に就任 |