経済再生へ挙国一致体制
1998年7月に実施したカンボジア初の自前の総選挙で副党首を務める人民党が勝利、同年11月に単独首相に就いた。97年に事実上国外追放したラナリット民族統一戦線(フンシンペック)党首を下院議長に据えて和解、政治混乱に終止符を打った。「経済内閣」を志向してカンボジア経済立て直しを目指す。
70年代に王国民族連合政府軍指揮官として従軍し左目を失った。78年に救国民族統一戦線の創設にかかわり、プノンペン政権発足後は外相などとして、ポル・ポト派など民主カンボジア連合政府と対立。
混乱を生き抜いた剛腕でやり手の印象が強いが、経済では細かな事情に通じる。2000年に故小渕恵三元首相が首相として43年ぶりにカンボジア訪問した際にはインフラ整備や技術移転など自ら事細かに説明、日本政府を驚かせた。日本など海外投資家の要望を自ら聞く機会を定期的に持っている。
有力な天然資源である森林の不法伐採防止では「解任」をちらつかせて閣僚に実施を迫ったほか、「(国際公約で財政再建に不可欠な)兵員削減には支援国の協力が不可欠」と資金支援を強く求めるなど、自身の考えを押し通すタイプ。
大のゴルフ好きで「飛距離を求めてラフに入れるより、フェアウエーを確実に狙うゴルフを心がけている」。50歳。
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