農業政策・外交に力注ぐ
1947年、10代で革命運動に参加した。人民解放軍参謀総長を務めるなどたたき上げの軍人として知られる。ラオス人民革命党の党内公式序列は8位で、カムタイ大統領を中心とする集団指導体制の中核を担う。
これまで首相府相や内務相も歴任、軍だけではなく警察にも大きな影響力を持つとされる。開放政策が始まった86年、党内の実力者として政治局員に指名された。91年にいったん政治局員をはずれたが、国民の8割以上が農業に従事する環境の中で農林相として生産性を高めたその手腕が評価される格好で96年に復活した。
首相に就いた98年以降、ラオスにとって経済での影響力が大きいタイとの国境紛争の解決に努めた。99年にはタイ、中国を訪問するなど隣国との関係改善に力を注ぐ。88年11月に訪日、大の親日家とされる。首相の二女は日本への留学経験もある。72歳。
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