「アジアの未来」
NIKKEI NET

フロントページ
速報
8日の概要
9日の概要
会議日程
講師略歴
アジアの未来'99
アジアの未来'98
アジアの未来'97
第5回アジア賞
ENGLISH
崔 禹 錫(チェ・ウソク)三星経済研究所代表理事所長(韓国)
経済回復と国際協力
 三星経済研究所の崔禹錫です。

 今日、このような席を設けて下さった日本経済新聞社と関係者の皆様に感謝いたします。

 過去3年間、韓国の経済は非常に大きな変化を遂げました。97年末、アジア通貨危機の直撃を受け、IMF体制に移行せざるを得なかったのですが、98年の下半期に危機からの脱出の兆しが見え始め、99年から本格的な景気回復が始まりました。

 GDP成長率は97年は5%でしたが。98年はマイナス6.7%と急落し、その後、99年はプラス10.7%まで急回復したことを見ても、韓国経済がいかにダイナミックに変化したかが分かると思います。今年も8%ほどの成長が予想されています。

 今年6月12日には、分断後初めて南北首脳会談が開かれる予定で、韓半島の緊張緩和と平和の定着に一歩近づくことが期待されます。首脳会談をきっかけに、南北間の経済交流もさらに促進されると思います。わずか2年前の緊迫した状況と比べ、雲泥の差があります。むしろ、早すぎる経済回復と楽観的な雰囲気、それによる社会の雰囲気の"緩み"が再び経済危機を招くのではないかと心配されるほどです。

 韓国経済が最悪の状況から脱し回復の軌道に乗ったのは、世界経済の環境が好転したことに加え韓国の自助努力があったと思います。

 当初は、IMFの処方箋により高金利・財政緊縮策を採用しましたが、それが貸し渋りとパニックを引き起こし、経済はさらに悪化しました。しかし、98年の秋ごろに主要先進国の協調により、国際金融市場が安定を取り戻したあとは、韓国経済も危機的な状況から一息つけるようになりました。

 特に欧米の資本が本格的に入り、「新宮沢構想」による日本の資金も支えとなり、貧血状態に陥っていた韓国経済に血の気がさしてきました。「新宮沢構想」は、韓国をはじめアジア諸国に安心感を与え、金融不安を押さえることに大きく貢献しました。日本のこのような役割を今後も期待します。

 韓国内では98年夏からIMFとの合意を受け、低金利、赤字財政策など、積極的な景気浮揚策を採りました。それが海外環境の好転とかみ合って、景気回復のテコとなりました。

 韓国が国際経済の良い流れに乗れたのは、"強制された改革"があったからだと思います。IMFと外国投資家の支援を受けるためには、根本的な改革を行わなければなりませんでした。そこで普通なら不可能な様々な改革が強いられました。改革に伴う痛みも多かったものの、長い間、高度成長の過程で生じた疲労したシステムを、大改造する機会になりました。

 あまりにも危機的な状況だったので、議論する時間もありませんでした。瞬く間に重要な決定が下され、即座に実行されました。政府も民間も瀬戸際に立っていたからです。終戦後、マッカサー司令部が日本で実施した様々な改革を思い起こして下さい。危機こそ、国民の莫大なエネルギーを引き出すことを実感したのです。

 企業、金融、労働、公共部門での4大改革が同時に進められました。まず、公的資金80兆ウォン(10ウォン≒1円)を投入し、金融システムの改革に取り組みました。当初、投入された80兆ウォンとは、韓国政府の1年の予算に匹敵する規模です。しかしこの金融改革が不十分だったため、今年再び約30兆ウォンを投入し、さらなる金融改革を実施せざるを得ない状況です。我々は改革というものは、迅速かつ大胆に実行しないと、コストがさらに高くなるということを実感しました。

 企業の改革は一層ドラスティックでした。アメリカとIMFの強力な勧告により、韓国経済の特徴でもある企業グループの大々的な構造改革が進みました。事業部門をスリム化し、負債比率を画期的に下げました。また証券市場の回復とあいまって、大幅な増資も行いました。企業は生き残るため、資産の海外売却、外資の導入、企業間のビッグディール(事業交換)、戦略的提携を行いました。その渦中でIT(情報技術)産業とベンチャー企業が急速に立ち上がりました。

 韓国企業の経営方式は、今までは日本に近い形でしたが、今回のIMF危機をきっかけに、急速にアメリカ型に接近しています。売上高やシェア重視の経営から、収益性とキャッシュフロー(cash flow)重視へと、さらにはCorporate Governance(企業統治)のあり方も急速に変わりつつあります。企業は外国人にも開放された証券市場から資金を調達せざるを得ない状況であるため、政府や銀行よりも、市場と株主により神経を払うようになりました。

 このような変化に、いち早く適応した企業が生き残り、そうでない企業は衰えていたのです。労働改革も相当進んでいます。労働組合が賃金の削減や整理解雇を認め、終身雇用、年功序列の慣行も次第に崩れつつあります。公共部門の改革はかなり遅れていますが、ゆるやかな変化が起きています。急速に変わる社会の圧力で、政府など公共部門も、規制緩和と能率向上を進めています。

 危機克服の初期段階では政府が大きな役割を果たしましたが、次の段階では民間の活力が変化の主役となりました。韓国人特有の楽観主義と冒険精神が活路を開いたのです。

 IMF危機の直後、1カ月間に3000社も越える企業が倒れましたが、はやくも98年4月頃からは、創業ブームが起こり、新設法人が倒産法人の2倍を越えました。特に先端技術を利用したベンチャーブームが98年の下半期から始まりました。99年にはブームはいっそう広がり、昨年末の時点で政府にベンチャーとして登録された企業は4900社を越えました。約1年半で17倍になりました。

 ベンチャーブームは、経済全体に活力を与え、失業問題の解消にも大いに貢献しました。今や韓国では、大企業や官庁のエリートたちが組織をさっさと辞めて、ベンチャーに飛び込んでいるのです。"寄らば大樹の陰"の時代は終ったのです。韓国のIT産業、インターネット事業はこうした若者の創造したベンチャーの群れにより、主導されています。

 一部の大企業もベンチャーの柔軟な経営方式を思い切ってとり入れると同時にe−ビジネスにも積極的に参加しています。そうした努力にも関わらず、累積赤字と高い負債比率、古い経営慣行のため、多くの企業が、まだ経営不振から脱出できないでいます。

 今回のIMF危機をきっかけに、韓国の経営者の顔ぶれがすっかり入れ替わりました。主要企業と大手銀行のCEOは、ほぼ50代前半で、相当若返りました。韓国の世界的な電子メーカ、三星電子のCEOは56才、先端分野のデジタルメディア事業を総括する社長は48才。各事業部門の責任者である副社長の中には、40代も多いのです。韓国の経営者は気力、体力、知力がもっとも旺盛な時に、大きなビジネスを任され、全力投球しています。経験豊富なシニアの経営者は、あまりにも慎重すぎ、チャンスをつかみ損なうことが多いように思われます。

 ITなどのベンチャー企業の中には20、30代の創業者社長も珍しくありません。彼らの中には、ベンチャーブームに乗って、一躍億万長者になった人も多いのです。コリアンドリームの時代がまた始まったのです。

 韓国人の楽観主義は消費回復のスピードからも分かります。自動車の販売台数は98年に前年と比べマイナス48%に落ち込みましたが、99年には63%増えました。またIMF危機の直前に1000万台たらずだった携帯電話は、昨年末には2300万台を越えました。この間にインターネットの利用者も百万人から約1500万人に増えました。韓国には、日本のカラオケ店にも似たインターネットを使える「PC房」という店があるのですが、最近これが1万5000店に増えました。韓国の通信料はアメリカとほぼ同じ安さです。その点から韓国のIT産業の今後の発展と経済のデジタル化については楽観しています。

 韓国経済には、外国資本の影響力が相当強まりました。IMF危機で,韓国の株価が暴落した時、外国の資本が大量に流入し、今では大きな利益を得ています。現在の時価ベースで、韓国の上場株式の約1/4を外国人が所有しています。また外資は韓国企業のM&Aにも積極的で、金融部門はもちろん機械、製紙、化学、電子などの主要業種で橋頭堡をつくりあげました。いわばハイリスク(High Risk)、ハイリターン(High Return)です。

 このような外資のウエイトの拡大によって、韓国経済は国際化が進む一方、アメリカ式市場経済と、グローバルスタンダードが強いられています。それは韓国が長い間つくり上げてきた、慣行や文化と衝突する側面もあります。また所得の不均衡を加速し、弱肉強食の風潮が社会的な問題を引き起こしています。アメリカ式市場経済の長所を取り入れると同時に、アジア的価値の良さを生かす知恵が必要だと思います。

 流入した外資の内訳を見ると、アメリカとヨーロッパが積極的である半面、隣国の日本は相対的に少ないことが分かります。韓国の立場からは、アメリカ、ヨーロッパ、日本の資本が適当な比率で入り、チェックアンドバランスが効くようになれば、と思いますが、日本は非常に慎重で注意深いのです。アメリカとヨーロッパが直接投資額の約1/3づつを占めているのに、日本は10%の水準に留まっています。それも韓国経済が安定した99年以後に増えたもので、97年と98年は5%の水準でした。

 フランスのルノーは短期間の交渉で、韓国三星グループの自動車会社の買収を決めました。ルノーは三星自動車を買収した際、三星グループが約20%の株式を維持するよう条件を付け、三星を事業のパートナーとして韓国市場に拠点を確保しました。一方、日本のある大企業は三星グループと現代グループの石油化学事業に資本投資するため、長期間に渡って交渉をしたが、結局それをあきらめました。もちろん、その大企業にはしかるべき理由と経済的論理があったとは思いますが、日本特有の慎重さと完璧主義のため、機会と市場を見逃してしまったのではないかと思われます。

 日本経済が今、厳しい状況に置かれているため、韓国に投資する余裕がないことも十分理解できます。しかし、日本国内のみを考えるのではなく、韓国、中国などアジア全体を視野に入れて経済を運用してこそ、日本経済もいち早く回復するのではないでしょうか。

 デジタル経済では、国境を越えた企業間のネットワークと提携関係が盛んになります。韓日の間では先端産業と部品・素材産業の協力、また過剰生産と投資の調整も可能であるはずです。最近、韓日関係も好転し、協力の雰囲気がかなり高まったと思われます。

 この席に新日鐵の千速晃社長もおられますが、30年ほど前、韓国が浦項綜合製鉄を建設した際、新日鐵が経済的な論理だけを考えて協力・支援したとは思えません。当時稲山嘉寛社長のような立派な人の先見力と決断があったからこそ、韓国の鉄鋼産業は今日のように発展できましたし、また韓日両国に貢献したと言えるでしょう。ブーメラン効果を恐れるのではなく、緊張関係の中で競争しつつ、共に発展することがアジアの市場のさらなる拡大につながっているのだと思います。アジア地域の共存共栄のためには、日本のイニシアティブによる協力システムの構築と人的交流の拡大が必要ではないかと思います。

 韓国をはじめアジアの若い人々が、近い日本よりアメリカに留学する傾向があることに注目すべきです。韓国の場合、アメリカへ留学する比率が圧倒的に高く、彼らは帰国後、政府や大学、企業など主要ポストを占めるため、彼らを通じてアメリカの影響力が急速に強まっています。

 巨大な経済力を持つ日本が、今こそアジア版フルブライトプログラム(Fulbright Program)を大規模に実行する時期ではないでしょうか。

 今回のIMF危機の経験を通じ、我々は経済難局の克服には、国際的協力と従来の枠から抜け出した発想や行動が必要であるという教訓を得ました。グローバル時代、デジタル経済の今、それはなおさらです。古典的な経営の考え方では非常識的で危険にも見えることが、今の時代では跳躍のきっかけになることが多いのです。経営者は先見力を持って決断しなければなりません。責任もとらない人々が口を出したり、問題点のみを強調しリスクだけを考えていては、激変期には何にもできないでしょう。

 韓国経済には今も、危うさが残っています。IMFの支援以降、韓国経済は幅広く開放されましたが、グローバル時代に見合う経済的実力と社会システム、それにリスク管理システムが不十分であるからです。

 潜在力に比べ韓国経済はやや背伸びし、過熱している側面もあります。最近、再び危機論が浮上しています。経常黒字が減り、金融も不安な面があります。

しかし、かといって自信感をなくし不安に陥り活力を失えば、国の経済や企業の経営はさらに不安に陥ることも我々は経験しました。

 韓国は対外債務が多い未成熟な経済であるから、失敗や試行錯誤を恐れ、手をこまねいていれば、さらに大きな問題に直面すると考えています。激変する時代には完璧に予測し準備することは難しい。それゆえに、前向きに進みつつ、問題にぶつかる時にはそれに柔軟に対応する、これしか方法はないのだと思います。企業の間の協力も、アジアの地域間の経済協力も、同じではないでしょうか。

 韓国の若々しいエネルギーと日本の老練な経験と資本が結合すれば韓国のためにも、そして日本とアジアのためにも、素晴らしい結果をもたらすことになるでしょう。

 長時間、有り難うごさいます。

前のページへ
Copyright 2000 Nihon Keizai Shimbun, Inc., all rights reserved.