エネルギッシュな国際公務員
慶應大学を卒業後、フルブライト奨学金を得て米国に留学。5年後「母国に戻るか、国際機関の職員になること」という同奨学制度の条件を満たすためパリのOECDに。さらに5年後「自分の分析結果を、より直接政策決定に生かしてもらえそうだ」と考えてワシントンのIMFに移った。
IMFでは欧米担当が長いが、アジア局時代には、明石康国連カンボジア暫定統治機構代表(UNTAC)の協力も得ながらカンボジアの支援を担当したり、ミッション・チーフとして中国を担当した。1994年からは旧ソ連を担当、2年半の担当期間中に33回もモスクワを訪問、インフレを鎮静化させるため経済の動向を月単位できめ細かく監視しながら経済支援を続けた。
趣味はランニングとギター。フルマラソンで2時間40分台が最高だが、今でも毎日ジョギングは欠かさない。また、同僚と集うパーティーなどでは、よくギターをつまびきながら「さくら」を歌う。
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