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【シドニー21日共同】その瞬間、両手を高く突き上げた。見事な一本に会場は大歓声と拍手に包まれた。柔道男子100キロ級の井上康生選手(22)が21日、金メダルを獲得した。スタンドには遺影を抱えた父親らの姿があった。
試合後、井上選手は「(亡き母に)最高のプレゼントです」と喜びをかみしめた。
スランプだった昨年春、母かず子さんから手紙を受け取った。こうあった。
「初心に帰れ、康生。下を向くな。上を向いて歩かんか」。かず子さんは昨年6月、くも膜下出血のため51歳で急死。これが最後の手紙になった。同10月の世界選手権は、母の名を黒帯に刺しゅうして戦い、優勝。次の目標をこの日に合わせてきた。
父明さん(53)は、息子が小学5年で日本一になった直後の会話を覚えている。柔道の指導にのめり込み、夫婦関係にきしみも出始めた時期だった。
毎夜、石段登りをさせた宮崎市の公園で「お父さん、ふてえ(身の丈に合わない)夢見ちゃったか(見たのかな)」と漏らした。
息子は答えた。「そんなこと言わんで。ぼくは柔道するために生まれてきた子やと思う。だからもっと鍛えて」。これが出発点だった。
明さんは警察官。狭い官舎で体の大きな三兄弟が小さくなって眠っていると、かず子さんは布団をひっくり返した。「男の子は大の字で寝んか」。1カ月で60キロのコメがなくなる、と楽しそうに話していた。
山下泰裕男子監督(43)を慕って神奈川県の東海大相模高に進む。自分と同じく高校生で全日本選手権に出場した教え子を「久々に胸がときめく選手です」とテレビで語った。
だが、3年のインターハイ神奈川県予選決勝でまさかの敗退。かず子さんは、うなだれる息子の手から2位の表彰状を奪って言った。「おまえに2番は似合わん」。役員の目の前で表彰状を破り捨てた。
明さんは言う。「行為の是非はともかく、康生にかける思いは女房のほうが強かった。育てたのは本当はあいつだった」
井上選手は「優しいだけじゃなく、強い人なんだなと思いました」と振り返る。
男3人兄弟の末っ子。小学校時代、家族に内証で1年間、近くに住む難聴の女の子をおぶって通学した。中学では試合前、母親の手を握ろうと客席に戻った。アルバムでもいつも母に寄り添っている。
かず子さんは亡くなる直前まで日記をつけていた。勤務先の銀行の事務ノートに13冊。「康生」の文字が毎日のようにある。そこだけは赤いペン。こう書いてある。「康生、あんたは絶対に世界一になれる。自分を信じなさい」
次兄の智和さん(24)はこう語る。「子供のころから勝負に入れ込みすぎて目の前しか見えない窮屈なやつだった。でもおふくろが死んであいつは変わった。顔つき、たたずまい、そして気持ち」
明さんは「今の康生があるのは智和のおかげだ」と言う。末弟が小学生の時は中学生として、中学生になると自分の通う高校でけいこ相手をした。
「康生は人の3倍は練習した。とてもかなわない」と智和さん。2人で同じ量の汗を流してきた。母の姿を思いながら、この日を夢見て。
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