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柔道、会社員、大学院生の「三足のわらじ」をこなし、ケガを克服してきた田村選手の4年間の軌跡を追った。
▼無念 アトランタ五輪で、田村選手はケー・スンヒ選手(朝鮮民主主義人民共和国)に敗れ、バルセロナに続いて決勝で涙を飲む。
その夜。田村選手と接した高校時代の恩師である福岡工大付属高校柔道部監督の園田義男さん(55)は「絶対に勝てると思っていただけにショックは大きかったと思う。本当に落ち込んでいた」という。それでも田村選手は「もう一度やる」ときっぱりとリベンジを誓う。
▼就職 1998年、帝京大学を卒業して、田村選手が就職先に選んだのは、女子柔道部もなかったトヨタ自動車だった。海外遠征が多い田村選手が世界的な企業である同社に魅力を感じただけでなく、「柔道漬けの学生生活の中で迎えたアトランタからステップアップするためには、(柔道選手にとっては)厳しい環境に身をおいてシドニーを目指したかったようだ」(同社人事部)。
本人の希望もあり、海外関係の広報機能を持つ海外マーケティング部に配属。「広告代理店や制作会社との会議でも物おじせずに自分の意見がはっきり言え、頼もしい存在」(同僚の女性社員)という。
▼負傷 昨年12月、福岡国際女子柔道で十連覇を達成するが、左手小指の軟骨を骨折する。小指は柔道では力を入れる重要な指。「診察に訪れた際は、指が動かないのでかなり心配した様子だった」と桜庭景植・順天堂大助教授(スポーツ医学、48)。
約1週間後の同月24日、精密検査の結果、「しっかり治せば、手術しなくてもシドニーまでには治る」と桜庭助教授に太鼓判を押された田村選手は「サンタさんにプレゼントをもらった」と笑顔で報道陣に語った。
▼論文 「将来、指導者になった際にパワーや筋肉のことをちゃんと分かっていたい」と田村選手は日体大大学院に進学。堀居昭教授(運動処方、63)のもと、修士論文では「女子柔道軽量級選手における体力要素と背負い投げの技術分析」をテーマにした。
ビデオを使って(1)田村選手がきれいに技をかけた時(2)うまく技がかからなかった時(3)一般的な女子選手が投げた時――を分析。朝夕の練習の合間に研究室を訪れ、夜にはその日のまとめをファクスで教授に送るなどして今年1月、論文は完成した。堀井教授は「シドニーへの影響を心配する関係者から論文作成を1年延ばすよう薦められたようだが、(あえて厳しい環境を選んだ彼女の)意地もあったろうし、研究自体が柔道にプラスになり、彼女自身も面白かったのでは」と話す。
▼帰郷 田村選手は五輪代表の合宿入りするまでの練習場所に、母校の福岡工大付属高校を選んだ。「天才少女と言われたが、高校時代からぶっ倒れるまで本当によく練習した」と園田監督。練習では必ず胸を貸し、田村選手の調子を把握してきた同監督はシドニー入りし、最後まで調整に付き合った。「これまで『一生懸命頑張ります』としか言わなかった子が、(壮行会などで)『最低でも金メダル』と宣言したのは、相当な覚悟があったのでしょう」。 |