 | | 本番会場のベロドロームでバンクの感触を確かめる自転車のトラック代表チーム〔共同〕 |
日本生まれの自転車競技「ケイリン」が21日、五輪の舞台に初登場する。1980年の世界選手権で採用されてから20年。柔道に次ぐ、2つ目の“国技”のデビューに、努力を続けてきた関係者は感激を新たにしている。
48年の福岡県小倉市(現北九州市)。戦後の焼け跡を復興するため地方財政を豊かにしようと、戦前からあった競馬をまねて競輪が誕生した。一獲千金を狙う当時の人々の心に火をつけて、2-3年の間に60ほどの競輪場が日本各地に誕生した。
動物が相手の競馬と違って、選手たちの人間関係が勝負を左右するなど、よりギャンブル性の高い競技に、当初から批判もあった。
72年には美濃部亮吉・東京都知事(当時)が後楽園競輪を廃止。「海外に普及させれば、暗いイメージを消し、明るいプロ競技として認められるのでは」と、日本自転車振興会が中心となって活動が始まった。
世界選手権に日本の競輪選手を送り込む一方で、日本の競輪にも海外選手を招待。各国のコーチを招いたセミナーなども続けた。
しかし世界で「ケイリン」の人気が高まったのには、もう一つ理由がある。「タイムスケジュール通りにきっちり終わり、しかも見栄えがする」とテレビ局に歓迎されたことだ。2-3分に凝縮された選手同士の駆け引きが、自転車競技好きの欧州人たちの心をとらえた。
シドニー五輪での正式採用が決まった裏には、欧州からの支持に加え、実力の高いオーストラリアが「自分たちのメダルが増える」と計算したことも事実だ。
複数の選手で「ライン」をつくらず、個人同士が点と点になって戦うなど「日本の競輪とは全く別の競技」(太田真一選手)。必ずしも日本に勝算があるわけではない。
それでも「サシ」「マクリ」などの日本語が、そのまま英語として通用するニッポン生まれのスポーツ。太田選手は「初代金メダルは、やはり日本人で取りたい」と意欲をみせる。
五輪採用まで努力を続けてきた日本自転車競技連盟の花岡宗助名誉会長は、シドニーのバンクで「本当にうれしい。たとえ日本が優勝できなくても五輪をきっかけに、さらに多くの国に普及してほしい」と競技の開催を心待ちにしている。〔共同〕
|