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五輪での女子マラソンは、1984年ロサンゼルス大会から。日本は増田明美(川鉄千葉)と佐々木七恵(エスビー食品)が出場したが、世界との実力差は大きく、佐々木は2時間37分4秒で19位、増田は途中棄権という結果に終わった。
88年ソウル大会も、浅井えり子(日本電気HE)の25位が最高。荒木久美(京セラ)が28位、宮原美佐子(旭化成)が29位と惨敗した。当時の世界最高はクリスチャンセン(ノルウェー)の2時間21分6秒。日本は宮原が、やっと増田の持っていた日本最高を破り、2時間30分を切ったばかりだった。
だが、80年代後半から、女子の駅伝、マラソン人気が高まり、企業チームを中心に底辺が拡大。日本最高も少しずつ更新されていった。
一躍、花開いたのは91年、東京で開催された世界選手権だった。山下佐知子(京セラ)が2位、有森裕子(リクルート)が4位に入った。伝統のある男子同様、五輪の代表争いもし烈となり、黄金時代が到来した。
92年バルセロナ五輪では、有森がエゴロワ(EUN)とモンジュイクの丘の激戦を演じ、銀メダルを獲得。山下も4位に入賞した。そして93年世界選手権で、浅利純子(ダイハツ)が優勝。日本女子が初めて世界の頂点に立ち、安部友恵(旭化成)も3位に入り実力を示した。
96年アトランタ五輪には有森、浅利、真木和(ワコール)の3人が挑んだ。悲願の金メダルは伏兵、ロバ(エチオピア)にさらわれたが、有森が日本陸上女子初の二大会連続メダル獲得となる銅メダルを手にした。
それから今回までの4年間。勢いは止まることなく、さらに選手層は厚くなった。97年世界選手権では鈴木博美(積水化学)が優勝。98年にはバンコク・アジア大会で猛暑の中、高橋尚子(積水化学)が世界最高に迫る2時間21分47秒をマーク。99年世界選手権では、エース高橋が故障で欠場したが、市橋有里(住友VISA)が2位に食い込んだ。
今回の代表は、高橋、市橋に加え、日本歴代2位の2時間22分12秒を持つ山口衛里(天満屋)の3人。前回アトランタを上回る「史上最強トリオ」で挑み、エース高橋が悲願の金メダル獲得に結びつけた。(共同)
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