 | | 28キロ付近、シモンと競り合う高橋尚子
〔共同〕 |
エース高橋が、悲願の五輪金メダルを手にした。
1998年12月、酷暑のバンコク・アジア大会で2時間21分47秒の驚異的な日本最高をマーク。世界最強といわれた実力を、五輪という最高の舞台で存分に発揮した。
岐阜・県岐阜商高、大阪学院大時代は全国的には目立つ存在ではなかったが、当時リクルートを率いていた小出義雄監督の指導を受けようと、押し掛けるようにリクルートの門をたたいた。
中長距離のトラック選手だったが監督から「おまえはロードに向いている。世界一になれる」と毎日のように説かれ、徐々にその気になったという高橋は、マラソンに転向。小出監督とともに、積水化学に移り、順調に成長を遂げてきた。
昨年の世界選手権は好調を伝えられたが、左脚付け根の故障のためレース直前に欠場を決めた。今年はその反省を踏まえ、けがには細心の注意を払って練習してきた。一方で、米コロラド州ボールダーでの合宿では標高3500メートル級の酸素の希薄な高地で走り込みをするなど、ときに大胆な発想で、鍛えもした。
「やり残したことはない」と臨んだレース。27キロ付近からのシモンとのマッチレースだったが、35キロ手前の小気味のいいスパートで、一気にシモンを突き放した。最後までリズミカルな走りで、栄光のゴールテープを切った。小出監督の予言に導かれるように、高橋は確かな自信を胸に、アップダウンのきつい難コースを克服し、念願の五輪金メダルをつかみとった。(共同)
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