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35キロ手前のだらだら続く上りで、金メダルへのスパートが始まった。「尚子」。沿道にいた父親・良明さんの声が耳に届いた。はずしたサングラスを良明さんに向かって放り投げ、エンジン全開だ。粘り強いシモンが耐えられず、ついに引き離されていく。
「競技場までは一緒にいきたくない。私はアップダウンが好きなので、ここしかなかった」。どこまでもスピードを緩めない高橋とシモンの差はどんどん開く。勝負は決した。日本の女子マラソンが頂点に立つ日がやって来た。
高橋と小出監督のプラン通りのレースだった。「折り返し点(17.7キロ)を過ぎると体が温まるから、余裕があればいけ」と、小出監督が指示した。18キロ手前で高橋がすっと前に出ると、20人前後の大集団が一気に減った。
まるで天に向かって走るかのように錯覚する25キロからのアンザック橋では、ライバルはもう2人だけ。ここを栄光への関門とみるか、後半の地獄の入り口と感じるか。市橋は耐えられず、脱落した。後はシモンとのマッチレースだ。
アップダウンの続く30キロからの持久戦。高橋は15日にシドニー入りして毎朝、32キロから37キロのコースを実際に走ってコースを頭にたたき込んでいた。前夜、監督に自分から申し出た。「33キロから35キロの間でスパートします」
高橋は「42.195キロを自在に操りたい」と話していた。コースを自分の庭のように熟知し、最短距離のラインも分かる。あとは「なたの切れ味」(同監督)といわれる、長くスピードを維持できるスパートを決め、競技場手前で予想されるシモンの追い込みも届かないだけの大差をつければよかった。
ベノイト(米国)が持つ五輪最高記録を更新してのゴール。今世紀最後の五輪女子マラソンを制した最強ランナーは「私は選手としての仕事を果たしただけ。世界一の監督、世界一のスタッフが一緒に勝ち取った世界一のメダルです」と謙虚に話した。
「もっともっと走りたいけど、目標の五輪が終わってちょっとさびしい」。監督も舌を巻くほどのかけっこ大好きは、来春には2時間20分を切る世界最高記録を狙って走りますと宣言した。(串田孝義)
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