 | | 開会式の観客を出迎えるオフィシャル・スポンサー(9月15日、シドニー五輪公園)=写真 鈴木健 |
競泳の世界記録ラッシュで幕開けしたシドニー五輪だが、ビジネス的にも過去の五輪記録を次々と塗り替える“巨大”大会となった。 80年の就任から五輪の商業化を推し進め、来年勇退するサマランチ国際オリンピック委員会(IOC)会長の最後の大会にふさわしいものといえる。だが、商業化の追求は持てる国と持たざる国のスポーツ格差を深刻化させたのも事実だろう。
・「最も成功した大会」
「マーケティング面で最も成功した大会」とIOCのパウンド副会長(マーケティング担当)は胸を張る。チケットの総販売数は全枚数(650万枚)の9割を超え、過去最高だったアトランタの82.3%を上回った。最上位スポンサーからの収入(長野を含む)は約6割増の5.5億ドル。テレビ視聴者の総数は37億人と予測され、アトランタを5億人上回る。放映権料も13億3100万ドルとなり、アトランタの約5割増し。
だが、「経済的」五輪新記録への反発もある。
「オリンピックは金持ちの国だけのものではないはずだ」 アフリカのナミビア出身で、バルセロナ、アトランタの陸上100メートル、200メートルで連続して銀メダリストとなったフランク・フレデリクスさん(31)に五輪の商業化について聞く機会があった。フレデリクスさんは、シドニー入りしたもののケガのため、競技への参加は取りやめた。今回は競技から離れて五輪を見るチャンスを得て、五輪の持つすばらしさを客観的に実感した。しかし「その五輪もアフリカには何ももたらしてくれていない」と言う。
・「持てる国」だけの特権
1896年にアテネで始まった近代五輪。これまでに実際に開催された24大会中(夏季大会のみ)、欧州は14回、米州で6回、豪州2回。そして東京(64年)とソウル(88年)のアジアだけだ。いうまでもないことだが、五輪の5つの輪は「欧州、米州、アジア、オセアニア、アフリカ」の5地域を示すが、アフリカでの開催は一度もない。
2004年の夏季大会には南アフリカ共和国のケープタウンが立候補。アテネ、ローマ、ストックホルム、ブエノスアイレスとともに最終候補に残ったものの、結局、世界最大のショーを支え、多額の投資をするスポンサーやテレビ局を満足させることができる運営能力がないと見なされたケープタウンは落選し、2004年の開催地はアテネに決まった。
これまで五輪の準備状況をシドニーで取材するなかで、耳にタコができるくらい聞いたのが「第二次大戦後としては最大規模」という枕(まくら)言葉だ。1日に40万を超える五輪公園への輸送はもちろんのこと、4万5000人にのぼるボランティア向けのユニホーム作りも「世界大戦時並みの総動員態勢で臨んだ」という。人口1900万人、国内総生産(GDP)では世界十数番目という豪州ですら、今の五輪を支えるには能力的にギリギリたったように思える。
五輪開催は“持てる国”だけの特権となってしまったようだ。
五輪期間中に記者会見を開いた北京五輪招致委員会幹部の発言が印象に残った。北京は2008年の五輪開催地に立候補している。
幹部曰(いわ)く「北京の強みは二つある。一つは13億人という世界最大の人口を誇る国の首都であるということ。そしても一つは、中国が年間10%を超える経済成長を維持し、(スポンサー企業にとっては)潜在的な市場として非常に有望であるということだ」。この幹部の発言は五輪の現実を実に適格に踏まえたアピールと言えるのではないだろうか。
・小さな希望
ただ、大会中に起きたエピソードは希望を少しだけだが残してくれた。
男子100メートル自由形で他の選手の2倍以上の記録を出して予選落ちしたアフリカの赤道ギニア代表エリック・ムッサンバニ選手(22)が一躍、人気者となり、地元をはじめとする世界のメディアの目が、アフリカなどのスポーツの現状に向かったことだ。
頭を揺らしながら足を曲げ、おぼれるように泳ぐ姿を前に、観客は当初戸惑ったものの、終盤にかけては地元のヒーロー、イアン・ソープに匹敵するほどの声援を送った。最終タイムは結局1分52秒72と、参加選手中の最下位。ソープが200メートル自由形を泳ぎきるよりも遅い記録となった。
ムッサンバニ選手の“活躍”によって、プールのような施設すら無いアフリカの現実に世界の人々が気がつき始めたのだ。
サマランチ商業五輪の集大成であり20世紀最後の五輪となったシドニー。商業五輪については次回のアテネ、そして北京が有力候補とされる2008年大会でも拡大路線が続きそうだ。だが、一方で忘れ去られている国々や地域をどのように「オリンピック・ムーブメント」に取り込んでいくのか――。21世紀の五輪にとって忘れてはならない課題だろう。
(シドニー支局=大石信行)
[9月26日]
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