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(上)逆境バネに悲願の金メダル 柔道・上村春樹さん
柔道男子無差別級で日本初の金メダルを獲得し、観衆に応える上村春樹さん(1976年のモントリオール五輪)
 「日本のお家芸」とされ、出場する選手たちにはメダルが義務づけられている感さえある柔道。今回も女子48kg級の田村亮子や男子100kg超級の篠原信一をはじめ、メダルラッシュが期待されている。76年のモントリオール大会で日本柔道界の悲願であった無差別級での初の金メダルを獲得した上村春樹さん(現在は全日本柔道連盟強化副委員長兼男子強化部長)に、逆境を跳ね返して優勝を果たした当時の思い出を聞いた。(聞き手はマルチメディア編成部 斉藤直宏)

 ・「負けたら帰ってくるな」と寄せ書き

 私が出場したころは、「負けたら帰ってくるな」と柔道着に寄せ書きがしてあるような時代だった。しかも、日本選手がまだ無差別級で金メダルを取っていないというのが、日本柔道界の悩みだった。私としても、金メダルを取らないといけないという思いがあった。

 当時、私は延岡に住んでいて、東京にひんぱんに来て練習をする機会はなかった。だから「東京ではもっと良い練習をしているはずだ」と、かえって常に危機感を持って練習することができた。少ない人数の中で自分を強化し調整する能力が自然とついていた。特に、攻撃の幅を広げる練習に重点を置いた。たとえば、練習相手に「大外刈りをかける」と宣言し、私に大外刈りをかけさせないような戦い方をするよう相手に仕向けるなど、自分に負荷をかけた練習をした。そのようにして、実戦に沿った勝ち方を研究していった。

現在は全日本柔道連盟強化副委員長兼男子強化部長を努める上村さん
 ・「自分が一番強い」

 また、当時心がけていたのは、対戦相手がこう来たらどうするかと、自分の頭の中でさまざまなシミュレーションをしておくこと。そのシミュレーションでは、あらゆる状況において自分を勝たせる。このようなシミュレーションをしておくと、実際の試合のとき思わぬ出来事が起きてもすぐ対応できる。当時はまだイメージトレーニングという言葉もあまり知られていないころだったが、私はそれを一生懸命やっていた。あらゆるケースを頭の中に入れ、練習の段階では最悪の事態を想定しておく。そして、実際の試合には「自分が一番強い」と思って臨む。自信のない選手は勝てないし、裏付けのない自信では意味がない。延岡という環境にいたので、そのようなことをしないと満足感を得られなかった。東京の講道館で毎日練習できるような環境だったら、そこまで考えなかっただろう。

 そのような練習を積み重ねて本大会を迎えたが、当時はいまのように万全な態勢で試合に臨めるというわけではなかった。「和食の差し入れだ」といって、おにぎり2個が食事に出てくるような時代だった。いまは練習相手が各階級に1人ずつおり、コーチはもちろん栄養士や医師、マッサージ担当も同行するので、身体面の調整はしやすい。当時は五輪特別機で各競技の選手が一緒にモントリオールに行き、一緒に帰国するという時代。私たちは柔道代表選手3人だけで3週間を過ごすことになり、調整には苦労した。敗退した選手は、調整の失敗が原因だったケースが多い。

表彰式での上村さん(右)
 ・「ほっとした」が本音

 私が無差別級の試合に臨む前日、金メダル確実といわれていた南喜陽選手(軽量級)が敗退した。五輪における柔道では、前に出場する仲間の選手が負けてしまうとチーム全体の雰囲気が暗くなり、「絶対勝ちたい」という気持ちになる反面「ひょっとしたら自分も負けるかもしれない」と弱気になってしまうことも多い。しかし、私は自分に負荷をかけると力を発揮するタイプなので、「よし、やるぞ。勝たねばいかん、どうにかしないと」と自分を奮い立たせた。自分に「当たり前の試合、自分の柔道をすればよい」と言い聞かせて試合に臨んだ。

 優勝し表彰台にあがったときの気持ちは、「ほっとした」というのが本音だ。やはり、勝たねばならないという大きなプレッシャーがかかっていたのだ。「これでやっと日本に帰れる」と思った。たぶん、ガッツポーズなどせず、淡々と表彰台から降りてきたと思う。金メダルを取ってうれしいと感じたのは、帰国して家族や友人から「おめでとう」と言われたときが初めてだった。

 調整に苦労した当時の状況だったが、私の場合は試合の組み立ても調整もうまくいったから勝てた。自分の精神や体調をコントロールできる力を備えていなかったら、勝つことはできない。調整も試合の組み立ても、自分できちんとできること。勝利の条件はいまも昔も変わらないと思う。

[9月8日]

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