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シドニー組は優等生、要求こなし自己表現も・日本サッカーの野望(中)
アトランタでは戦術を巡り前園(右)らの不満が爆発した
 「戦い方自体に間違いはなかった」と西野朗(現柏レイソル監督)は、今も信じている。監督として西野が日本を率いた1996年アトランタ五輪。ナイジェリア戦の不幸な2失点さえなければ……。

 銅メダルに輝いた68年のメキシコ大会以来、28年ぶりに予選を突破した。長い留守の間に、五輪サッカーがアマチュアだけのものだった時代は、すでに過去になっていた。84年ロサンゼルス大会でプロの参加を認め、92年バルセロナ大会からは23歳以下の年齢制限つきに。大きく変ぼうを遂げた五輪は、若い選手たちにとって世界市場に通じる扉に見えた。

 「初出場の気分。分からないことだらけだった」。大会の後、ヘッドコーチの山本昌邦がこう漏らしたほどだから、選手が我を失ったのも無理はない。

 チームがきしみ始めたのは皮肉にも、初戦で難関ブラジルに勝った後だった。西野は次のナイジェリア戦も守備的なプランを立てていた。そんな慎重姿勢に前園真聖、城彰二、中田英寿ら自己主張の強い攻撃陣がかみついた。

 二匹目のどじょうはいなかった。ナイジェリア戦、0―0の終盤にオウンゴールとハンドによるPKで2失点。世界に自分を売り込み損ねた前園たちは「それ見たことか」と舌ぽうを鋭くした。

 個性派ぞろいの選手をまとめる難しさ。後に西野は「最初からまとめる気もなかったよ」と言った。ハンガリーに勝って予選リーグを2勝1敗としながら、得失点差で準々決勝進出を逃したのは、不幸というほかなかった。

 あれから4年。アトランタ組に比べ、シドニー組はおっとりしている。監督のフィリップ・トルシエに怒鳴られ、胸をこづかれても、じっと我慢の子。4年前は不満分子だった中田英も頼りになる兄貴分に成長、「監督の目指すサッカーをするのが大事」と繰り返す。

 予選と本番の間に時間がなかったアトランタ組と、フル代表としてもトルシエと長く接しているシドニー組では、チームの錬成の度合いも違う。子供のころから世界の場数を踏んだ稲本潤一、本山雅志らに初舞台の五輪への恐れはない。

 中村俊輔は、意に沿わぬ左外のポジションでもチーム戦術をしっかり消化、そのうえで自分の世界を表現しはじめた。「ノルマさえこなせば(個人プレーをしても)トルシエは何も言わないよ」。監督の機嫌を損ねぬよう計算しつつ、五輪でしっかり自分の技量を売り込む腹もある。

 4年前より、少し大人の顔が並んでいる。

=敬称略

[2000年8月30日/日本経済新聞 朝刊]

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