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技術確かな若手選手、ジュニア育成改革が結実・日本サッカーの野望(上)
中田英(左から3人目)らシドニー五輪代表世代は「新生トレセン」の申し子
 アトランタに続き日本サッカーが五輪に挑戦する。シドニーの地を踏む23歳以下の男子選手たちは、プロ化の時代に育ち、確かな技術を身につけた黄金世代。2年後のワールドカップを託される、日本サッカーの野心の源でもある。日本のこの世代の急激な底上げの背景を探ると、ジュニア層の育成に功のあるトレーニングセンター(トレセン)制度の改革、結実にたどり着く。

 「世界との差は大人になってからでは埋まらない。若年層の強化にこそ着手すべきだ」。1991年、日本サッカー協会強化委員に就任した加藤久(現湘南ベルマーレ監督)は考えた。折しもJリーグ誕生を控え、資金面も追い風が吹いていた。委員長の川淵三郎は「金は出す。好きにやれ」。気前の良い親分の下で、加藤は老朽化したトレセン制度に目をつけた。

 76年に発足したトレセンは、将来の代表育成を目的とした少年層の強化の場だった。全国を9地域に分け、各地域ごとに12歳以下、14歳以下、17歳以下の選抜チームを作り、対戦させていた。

 「そもそも子供のうちから勝った負けたに血道をあげてどうする。大事なのは将来性だろう」と加藤。田島幸三(現U―16日本代表監督)らスタッフと改革に乗り出した。

 年1回の各地域の選抜チームの対抗戦は研修会へ衣替え。「集めて終わり」ではなく、中央から9地域にスタッフを派遣し、その下の各都道府県、そのまた下の各地区の担当スタッフとの連携も密にした。中央から地方へ指導・育成の手法が伝えられ、地方から中央へ選手の情報が吸い上げられる。

 勘に頼った一本釣りからソナーによる魚群の探知へと進歩したようなもの。軌道に乗ると、有望な子供が次々とその網に掛かった。中田英寿、柳沢敦、稲本潤一、本山雅志。現在のシドニー五輪代表世代は、「新生トレセン」の結実なのだ。

 育成の対象は選手よりも実は指導者にあった。加藤の下で指導者ライセンス制度の整備を手掛けた田島は言う。「五輪世代の選手には共通点が多いことが分かるでしょう」。いずれも姿勢が良く、視野が広く、プレーの選択に誤りがない。それもそのはず。「設計図」が同じなのだから。

 トレセンを通じて「いい選手とは何か」というビジョンをあらゆる階層の指導者が共有し、優れた選手を計画的に量産できるようになった。

 現在、トレセンはボランティアを含め全国で1000人以上の人々の協力で成り立つ巨大な組織になった。だが加藤自身は性急な改革を疎まれ、旧世代の人々と衝突することが多かった。94年に強化委員長に昇格、96年に退任。

 それでも「自分の思い描いた方向へ進んでいる」との自負がある。その成果を、五輪は問う。=敬称略

[2000年8月29日/日本経済新聞 朝刊]

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