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篠原信一、常に技かけ続ける・日本柔道金への道(1)
 シドニーで柔道ニッポンの復権はなるか――。日本は昨秋の世界選手権で金メダル8個(男女各4)を獲得し、覇権奪還へ一歩を踏み出した。前々回のバルセロナ五輪で2個、前回のアトランタ五輪で3個にとどまった金メダルを、シドニーでは5個以上と量産を狙う。さらに本家らしく一本勝ちで柔道の神髄を示し、駆け引き先行のポイント柔道への流れも変えたい。大舞台で頂点に挑む主役たちを追った。1回目は男子100キロ超級の篠原信一(旭化成)。

 アトランタ五輪の代表候補と目されながら、その座を小川直也(現プロレスラー)に譲った。けいこ場ではケタ外れの強さを発揮するのに、試合になると実力が出ない。そんな未完の大器が世界一の柔道家へ変ぼうを遂げる転機は、1997年の世界選手権(パリ)での敗戦だった。

 フランスの英雄、ドゥイエとの95キロ超級決勝。お互いに技らしい技が出ないまま、反則負けを宣告された。地元びいきのジャッジと批判された試合。帰国後、「不運だったな」と同情される一方、門外漢の友人から浴びせられた「柔道って、見てても、ようわからんな」の一言がこたえた。

 「何やってるんやろと思いましたね。負けたことより、攻められなかったことを」。兵庫・育英高から天理大に進み、「両手でちゃんと組み、常に一本を取りに行け」と正統派の柔道を教え込まれてきた。外国選手の変則に変則で応じる、現実主義とは一線を画す考え方。

 篠原自身もそれを忠実に守ってきたつもりだった。なのに、勝とうと思うあまり、相手のペースに合わせて、無意識のうちに守りに入っている。「どんな状況でも、技をかけ続ける」と、誓いを立て直したのはこのときからだ。

 青畳の中央に泰然と構え、逃げ腰の相手をじっくりつかまえに行く。「組めたら、必ず投げられる」。そう腹を決めると、190センチの巨体と身体能力の高さが生きて、大舞台でも豪快な内また、大外刈りが決まるようになった。

 体重無差別の全日本選手権で98年に初優勝。昨秋の世界選手権(英国・バーミンガム)は100キロ超級と無差別級の2階級を制し、計11試合のうち10試合を一本で飾って、新設の「一本トロフィー」を贈られた。この3年間、個人戦では負けなし。シドニーでの期待度は、前回の小川をはるかに上回る。

 晩成型の27歳は「自分は才能よりも、けいこで自信をつけるタイプ」と言う。2リットルの水を飲み干しても、1回の練習で軽い脱水症状を起こして体重が5キロ落ちるほど鍛え上げる。持病の腰痛を抱えるだけに、コーチが心配して「少し抑えろ」と止めるほどだ。

 世界王者として迎える五輪では、外国勢の徹底した組み手封じが予想される。恩師でもある天理大の正木嘉美監督は、「逃げられた時、それでも一本を取りに行けるかどうかが勝負どころ。大胆さを忘れてほしくない」。篠原も金メダルだけにとどまらず、「投げて勝つこと」を目標に挙げる。どちらも達成されたとき、世界最強柔道家の五輪が完結する。

 男子最重量級、12年ぶりV狙う

 <メモ> 男子の最重量級(無差別級を含む)で五輪王者になった日本選手は過去3人。上村春樹、山下泰裕、斉藤仁とビッグネームが並ぶ。篠原がシドニーで金メダルを獲得すると、88年ソウル大会の斉藤以来12年ぶり。本家の誇りにかけても、日本が最も取り戻したいタイトルだ。

 篠原は昨秋の世界選手権で2冠に輝いたが、これも89年ベオグラード大会の小川直也以来、10年ぶりだった。ちなみに3人の五輪王者は全員、それ以前に世界選手権で優勝。各国にマークされても、さらにその上を行く力を持っていたことを物語っている。

[2000年7月26日/日本経済新聞 朝刊]

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