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市橋有里、10年計画でスピード磨く・女子マラソン物語(13)
シドニー五輪に備えスイス合宿へ出発する市橋(右)と市川(21日、成田空港)
 21日、市橋有里はスイス・サンモリッツでの合宿に出発した。シドニー五輪へ向けて約2カ月間、走り込む。

 市橋は普通の選手とは異なる道を歩んできた。中学卒業後、学校の陸上部には属さず育ったのである。

 上京1年目の93年冬、1年先輩の市川良子と一緒に、中国・瀋陽で当時世界最強といわれた馬軍団の練習に参加した。馬俊仁氏が指導するエース王軍霞はその年9月、1万メートル29分31秒78の驚異的な世界新記録を樹立するなど、向かうところ敵なしだった。

 氷点下20度の中を、朝から20キロ、午後は1周200メートルのトラックを百周。コマネズミのように、ひたすらぐるぐると休みなく量をこなす。若い市橋、市川は同じレベルでこなすことはできずに70、80周で終わっていた。

 94年の夏には米国・アルバカーキ(ニューメキシコ州)で高地合宿を初体験。東京ランナーズ倶楽部の浜田安則コーチがかつて育てた山下佐知子も参加しており、トップ選手の厳しさを肌で感じた。

 浜田コーチは狙いを説明する。「馬さんのところへ行かせたのは、たくましさを身につけてほしかったから。高地トレもいつか必要になるトップ選手の練習を早いうちに経験しておくため。急いで結果を求めたわけではない」

 初の高地合宿はちょうどインターハイと同じ時期。冬も駅伝に出場することはない。余裕のある時間を将来のための“充電”にあてていた。

 東京に出た当初は「ビリばかりだった」と話す。いきなり実業団の選手に交じり、しかも、1年目は苦手な1500メートルを徹底して走った。中学時代、3000メートルの92年中学ランキング1位になるなど、長距離の片りんをのぞかせていた。長い距離ならもっといい成績を望めたが、このまま距離を延ばしても限界が早まるだけと、スピードを磨いた。

 マラソンのテレビ実況で「まるで水仙の花のよう」といわれた、腰の位置が高く、無駄のない美しいストライド走法は、この時期に原型ができあがった。スピード向けの筋肉を養ったおかげだった。

 初マラソンは19歳の97年名古屋で2時間29分50秒。10代選手では日本最高というおまけのついたデビューだった。前年12月にハーフマラソンを走って準備を始めていたが、実は卒業後それまでロードレースは一度も走ったことがなかった。世界と戦うための「10年計画」の、あくまで序盤と位置づけていた。

[2000年6月22日/日本経済新聞 朝刊]

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