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プロ意識支えに新境地を切り開く・女子マラソン物語(11)
91年東京世界陸上で銀メダルを獲得した山下
 1991年東京世界陸上、92年バルセロナ五輪でともに日本代表として戦った有森裕子と山下佐知子は、強烈なプロ意識で意気投合した親友同士だった。山下は実業団チームの監督となって後進の育成に、有森はプロランナーとして走り続ける。それぞれが日本の女子マラソン界に新境地を開いている。

 山下の監督としてのシドニー挑戦は不完全燃焼だった。「選考レースに出て負けたならまだしも、挑戦さえできなかった。そこへ行く前に選手があきらめてしまいましたね」。悔しさを隠せない。

 96年に第一生命の選手兼コーチから監督に就任、まず手掛けた「宝物」が伊藤真貴子だった。97年ロッテルダムで日本歴代2位(当時)の2時間26分3秒をマークし、同年東京で優勝した。

 だが、伊藤はその後故障が続いて走れず、心のスランプにはまり込んだ。寮から出してリフレッシュさせるなど、心のケアから手をつけたが立ち直れず、選手生活の続行さえ危うい。「97年が五輪年だったら。五輪はタイミングも大事です」

 名選手が監督へ、それが女性となると日本では珍しいが、「指導者に男、女は関係ない」ときっぱり。人を指導する難しさは一緒だ。

 「ほめて育てろといわれるが、甘くすると選手になめられて真意が伝わらないんですよね」

 京セラから第一生命に移籍した時、1年契約を申し出てマラソンにかけるなど、先鋭なプロ意識をたぎらせた山下には、いまの選手気質が物足りなく映る。「記録のレベルは私のころより断然上。なのに競技に取り組む姿勢、熱意はついていってないと思う」。どう折り合いをつけてアテネの星を送り出すか。

 有森はアトランタ五輪後、日本初のプロマラソンランナーとなった。今年1月の大阪で9位と敗れ、五輪3大会連続出場の夢は破れたが、ショックはない。「自分でも驚くぐらい、あっさりと五輪のことを気にしなくなりました」

 次走は今秋のニューヨークシティーマラソンに決めた。1人で練習に取り組み、狙うタイムは2時間23、24分台。「仕事で走るからには上位に入らないといけないですから」。高速時代に対応、33歳にしてさらなる向上を目指す。

 シドニーの女子マラソンは、テレビの仕事で現地観戦する。目の前で自分よりさらに輝くメダルを後輩たちが獲得するのを願いながら。

[2000年6月19日/日本経済新聞 朝刊]

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