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市橋有里、無理せずじっくり・女子マラソン物語(12)
単身上京、合宿生活で実力を磨いた(99年、世界選手権で2位に入った市橋)
 東京で開かれた91年世界選手権女子マラソン、山下佐知子が銀メダルを獲得したのをテレビ観戦していた。「いつか私も」。徳島・大麻中の市橋有里、13歳だった。

 それからおよそ1年後、中学卒業を翌年春に控えた秋、父貢介さんが1枚の新聞記事を娘に手渡した。日本陸連がその春から始めた長期一貫指導システム「東京ランナーズ倶楽部」の試みを報じていた。

 指導するのは浜田安則コーチ。「山下さんを育てた人」と知り、東京行きを即決した。地元の高校に進んで国体選手にと期待されていたが、少女の決意は固い。93年春、単身で上京、合宿生活が始まった。

 東京ランナーズ倶楽部にはいま市橋を含め3人のランナーがいる。1期生で1歳先輩の市川良子はアトランタ、シドニー両五輪でトラック長距離の代表。吉松久恵は98年に入部した。浜田コーチの指導のポイントは選手が本来の精神的、肉体的ピークを迎える時期に焦点を合わせて、じっくり育てることだ。

 「一番大事なのは長い競技寿命。目先の大会のための短期的な無理は絶対にしない」。市橋は戸板女子高に進学したが、陸上部には所属しなかった。普通の高校生ランナーが目指すインターハイ、駅伝とは無縁。目標はマラソン選手としての旬を迎える26歳、2004年アテネ五輪だった。10年計画である。

 市橋もその計画に従った。浜田コーチは「勉強も一夜漬けをしない子。何月何日のレースを目指してじっくり積み上げていくのを苦にしない」と評する。

 東京ランナーズ倶楽部はランナー養成を業とする有限会社だ。市橋が所属する住友VISAは、選手育成を同倶楽部に任せ、委託料を支払う。これが「平均的な実業団選手並み」という市橋自身への報酬や、同倶楽部の運営や練習の資金になる。

 「企業がスポーツに対してスポンサー支援をして、クラブが高い競技力を目指して努力する、という点で欧米型クラブに近い」(浜田コーチ)。選手と所属企業の契約は1年ごとに見直され、成績に応じて金額も変わる厳しさもある。だが、クラブ運営は完全に自立、駅伝など出場義務レースはなく、どんな試合に出ようが自由である。

 練習拠点がない分、駒沢公園、多摩川河畔、時には実業団との合同練習など渡り歩く。練習計画は選手自身にかなり任されている。共同の自炊生活、クラブの会計も自前。そんな手作り感覚が「自分に合っているような気がします」と市橋は気に入っている。

[2000年6月21日/日本経済新聞 朝刊]

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