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もつれる代表選考、「チーム」を望む陸連・女子マラソン物語(10)
92年、五輪代表選考を巡り松野は記者会見で「私を」と訴えた
 女子マラソンの五輪代表選考をめぐる騒動は、4年に一度の恒例行事となった。最初は1992年バルセロナ五輪。3番目の代表のいすを有森裕子(リクルート)と松野明美(ニコニコドー)が争い、松野が記者会見を開いて「私を選んで」と訴えた。

 この時のエース格は前年の世界選手権2位の山下佐知子(京セラ)。有森は同4位。小鴨由水(ダイハツ)と松野は、ともに初マラソンだった92年大阪で日本最高を塗り替えて1、2位を占め、代表候補に急浮上した。

 一貫して有森を推したという日本陸連幹部は「小鴨と松野を両方選んでいたら、山下がつぶれてしまっただろう」と振り返る。マラソン経験の浅い2人は、勢いはあっても本番では不安が先に立つ。結局山下に期待が集中し、重圧をかけすぎてしまうと考えた。

 優勝した小鴨は選び、もう1人はマラソンで安定した成績を残していた有森を優先した。暑さに強いことも有力材料だった。「計算できる選手が2人いるとチームとして力になる」

 マラソンは個人競技だが、陸連にすれば、だれが取っても日本のメダルに違いない。少しでも上位に食い込む確率の高い「チーム」を編成したい。そこで専門家たちの“勘”とも呼べる裁量が入り込む。

 96年アトランタ五輪でも、選考レースの中で日本人最高記録を出した鈴木博美(当時リクルート)が代表になれなかった。

 いくら日本がメダルを獲得しても、これでは選手や現場の指導者に不満が募る。われわれはまな板の上のコイでいいのか――。

 シドニーの選考で最後のいすを争った山口衛里(天満屋)と弘山晴美(資生堂)の評価も、陸連幹部の間からは「東京で突然快走した山口より、トラックで豊富な経験のある弘山を」とする意見が出ていた。それを現場のコーチたちの「優勝して記録も最高の山口でだめなら、今後は何を目標にすればいいか分からなくなる」との声が押し返したといわれる。

 陸連は来年8月の世界選手権(カナダ・エドモントン)のマラソン代表選考基準を事前に公表した。女子は五つの代表枠のうち東京、大阪、名古屋の三レースで日本人トップ、かつ2時間26分を切れば自動的に代表とする。しかし、この方式は3人の代表を世界選手権、北海道も加えた五つの選考レースで選ぶ五輪ではそのまま使えない。勝負、タイムを組み合わせ、だれもが納得できる選考基準を2004年アテネに向けて提示できるのか、陸連と選手との綱引きが続く。

[2000年6月18日/日本経済新聞 朝刊]

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