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高地トレの科学、世界へ接近・女子マラソン物語(8)
米ボルダーで練習する有森(右)ら(96年)
 米国のボルダー(コロラド州)、アルバカーキ(ニューメキシコ州)、中国の昆明(雲南省)。大試合の前に、選手は海外へ飛び立つ。日本の女子マラソンが標高2000メートル級の高地トレーニングに本格的に取り組んだのは1990年から。五輪、世界選手権のメダル獲得に結び付く「勝利の方程式」となった。

 酸素の薄い高地で“血と肉”を鍛え、平地で勝つ。日本陸連は90年、初の海外高地合宿を張った。88年ソウル五輪のマラソンで日本女子は3選手が25、28、29位と完敗、低迷に歯止めをかけようと打ち出した策である。強化本部の下に「科学部」を置き、研究を開始。マラソン熱の高い日本ならではのプロジェクトで、ほかの国ではあまり例がなかった。

 3月に昆明、7月には米国・ガニソン(コロラド州)。日本から洗濯機を送るなど総掛かりで環境を整えた。費用は陸連負担、医科学スタッフも同行、トレーニングと並行して日々の体調、心理テストまで実施して詳細な日誌をつけた。

 男女一緒の合宿だったが、小林寛道・医科学委員長は女子が目を引いたという。「男がヘトヘトでも女子は限界まで頑張れる。耐久力に勝る女性の潜在能力をぎりぎりまで引き出す方法として有効だった」。昆明に参加した浅利純子(ダイハツ)は、帰国後すぐにハーフマラソンの自己記録を伸ばした。

 91年に東京で開かれた世界選手権女子マラソンで、ガニソンの合宿に参加していた山下佐知子(京セラ)が銀メダルを獲得。やっと世界と戦えるレベルに手が届き、女子の間では高地練習が一気に広がった。

 陸連の高地合宿はバルセロナ五輪前まで計4回行われたが、途中から独自の拠点を備えてノウハウを蓄積していったのがダイハツの鈴木従道、積水化学の小出義雄両監督である。

 2000メートルを超えるとヘモグロビン増加など効果は劇的だが、半面、貧血になりやすく体調を崩しやすい。適応力には個人差も大きい。練習の強度、休息の組み合わせといった“さじ加減”は「経験がものをいう本当に微妙な世界」(小林委員長)。

 小出監督は、バルセロナ五輪前の有森を1600メートルのボルダーで鍛え、アトランタ前はその近郊ネダーランドの2600メートル地点まで上がって調整した。シドニー代表の高橋尚子は、さらに高い3000メートル超のコースで走り込む計画といわれる。金メダルを狙う強い意志が、師弟を高みへと引き寄せる。

[2000年6月16日/日本経済新聞 朝刊]

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