NIKKEI NET
シドニー五輪2000
最新ニュース
new競技別
new解説者の目
五輪ビジネス
豪SMH紙から
みどころ・コラム
from シドニー支局
競技日程
選手紹介
競技会場
フォトギャラリー
国別メダル数
みどころ・コラム
専門監督、「ガラス細工」を巧みに掌握・女子マラソン物語(6)
五輪メーンスタジアム前でストレッチをする小出監督と高橋尚子
 かつて瀬古利彦を育てたエスビー食品の中村清監督が指導した女子選手が、1984年ロス五輪代表の佐々木七恵だった。油断すると皮下脂肪がつき、厳しく鍛えるとすぐ貧血を起こす、そんな女性ランナーの難しさを「ガラス細工を扱う思い」と表現した。

 90年代、日本の女子マラソンの躍進を演出したのは、繊細で複雑な女性心理をつかむ、女子専門の監督だ。その代表格が積水化学の小出義雄監督(61)である。

 97年8月のアテネ世界陸上選手権。女子マラソンのレースを翌日に控え、鈴木博美を指導する小出監督は突然、「泳ぐぞ」。服を脱ぎ目の前に広がるエーゲ海に飛び込んだ。「監督、しょうがないですねえ」。鈴木は服を持って苦笑い。捨て身のパフォーマンスにレース前の緊張は解けていた。

 今年2月の鹿児島・徳之島での合宿。シドニー五輪代表をかけた名古屋国際を1カ月後に控え、体調を崩していた高橋尚子には、報道陣の目の前で予定通り40キロ走を命じた。前夜、「走りたくない」と渋る高橋を説き伏せた。

 鈴木はアテネで金メダルを獲得。高橋は名古屋で優勝、「すごくつらかったあの走りが自信になった」と話した。小出監督の人心掌握の一端である。

 小出監督は個々の選手に応じた顔を使い分ける。鈴木に対しては目線を合わせた友人、高橋には監督として上に立つ。バルセロナ、アトランタ両五輪でメダルを獲得した有森裕子には「有森先生」とへりくだって構える。

 88年に実業団監督に就任、女子マラソン選手の本格育成に取り掛かるが、それまで23年間、高校教師として陸上部を指導した経歴を持つ。「持続力は女性のほうが優れている」と、まだ女子に長距離種目がなかった時代から、男子と同じ練習を取り入れ、女子生徒に長い距離を走らせていた。

 82年2月、千葉県光町の小さなマラソン大会に出場した成田高・増田明美が日本最高を打ち立てた。それに続いた佐倉高・倉橋尚巳は2時間41分33秒。目立たなかったが増田に続く日本歴代2位。小出監督の教え子だった。

 「指導者は教え子たちに育てられるもの」。女子マラソン草創期のずっと前からの記憶、記録のすべてが巧みな選手操縦術に生かされている。

[2000年6月14日/日本経済新聞 朝刊]

Copyright 2000 Nihon Keizai Shimbun, Inc., all rights reserved.