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五輪初挑戦、増田明美の失敗・女子マラソン物語(4)
ロサンゼルス五輪マラソン、増田(中)は16キロで棄権した(84年)
 日本女子マラソンの五輪初挑戦は完敗に終わった。1984年ロサンゼルス大会。初めて実施された女子マラソンは、ジョーン・ベノイト(米国)が今でも五輪最高記録として残る2時間24分52秒で優勝。日本の佐々木七恵(エスビー食品)は2時間37分4秒で19位、当時の日本最高記録を持っていた増田明美(川鉄千葉)は16キロで棄権、ゴールにたどりつけなかった。

 救護車で運び込まれた競技場の医務室。増田はテレビの映像を見てがく然とした。レースが終わろうとするころ、脱水症状のアンデルセン(スイス)がふらふらになってトラックをさまよっていた。

 「私は先頭集団で理想通りに走れない自分がみじめになってレースをやめた。棄権するほど体調はひどくなかったのに気持ちで負けた。彼女は正反対。必死でゴールに向かっていく姿をみて、情けなかった」。いま思い出しても増田の声は悔しさで震える。

 自信のなさがすべてだった。夏マラソンに備え、ニューカレドニア、宮古島、沖縄と、暑さ対策の合宿を繰り返すうちに体調が悪化。練習では高校生に負けた。「五輪」と聞くだけで気が滅入り、後援会の壮行会もすっぽかした。

 スタートラインに立った瞬間、増田は「まぐれが起こらないかな」。競技場を先頭で飛び出したが、すぐに集団に吸収され、後続に抜かれるとギブアップしてしまった。

 20歳だった。千葉・成田高時代にマラソン日本最高をマーク、「女瀬古」と呼ばれた早熟のランナーだが、競技環境を変えないようにと地元の川鉄千葉に陸上部を作ってもらい、手厚い庇護(ひご)の下に育ったかごの鳥。精神的に弱かった。

 「どんな練習でもこなせたけど、全部与えられたもの。生活は陸上一色で社会人の常識もない。人間としての強さに欠けていた」

 ラストランとなった92年1月、大阪国際の直後、7カ所の疲労骨折が判明した。やればやるだけ安心できるからと無理な練習をしてきたツケが回ってきた。「腹筋5000回なんてやりました。マラソンの自己ベスト2時間30分30秒の間やり続けたら、その数になって。疲労骨折の1カ所は股(こ)関節でした」

 まだ科学より精神主義が幅をきかせた時代。若くしてマラソンに打ち込み、心、体のいずれにもひずみが生じていた。増田の失敗は次代のランナーに多くの教訓を残した。

[2000年6月11日/日本経済新聞 朝刊]

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