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学生や主婦集め特訓・女子マラソン物語(3)
第1回の東京国際女子マラソンは小雨の中のレースだった
 普段は車があふれる道路をしゃ断して、道の真ん中を走るのは「ぜいたくな気分」だった。1979年11月18日、第1回東京国際女子マラソンは、東京五輪以来の首都でのマラソンだった。

 30歳の松田千枝(資生堂)は夢中になって前半を飛ばし過ぎた。後半崩れて3時間2分51秒、日本選手では5番目でゴール。「雪混じりの小雨が降ってきて心細くなった。やっとの思いでたどりついた」。27歳でジョギングを始めたママさん選手。なにぶん経験が浅かった。

 弾がなくては鉄砲は撃てない――。東京で女子単独の国際マラソンレース開催を決めてから、日本陸連は大慌てで選手探しに取り掛かった。当時、陸連登録選手にマラソンを走る女子はいない。付け焼き刃は承知の上で、市民ランナーを集めて特訓した。

 講習会を兼ねた強化合宿を福岡、大阪、東京で開き選手をかき集めた。松田のほか、本番で日本勢トップ(7位)になる38歳の村本みのるは、珠算塾講師で3児の母。体育大の学生やランニング雑誌の編集長もいた。「主婦同士では子供の話題で盛り上がり、大学生とはマラソンの話題で意気投合、とても新鮮だった」(松田)

 ベルリン五輪の長距離で活躍した村社講平氏ら講師陣も豪華だった。陸上の歴史から食生活の心得、走法まで競技のイロハを伝授。全員がノートを取って真剣に聞き入った。ちょこちょことアヒルが走るようなフォームの選手もいて心配されたが、本番は日本選手32人のうち29人が完走を果たした。

 「1期生」からその後、佐々木七恵(現姓・永田)がロス五輪代表に。松田は第7回東京で2時間36分38秒まで自己記録を伸ばし、ソウル五輪を目指した。素人同然の集団だったが磨けば光る原石があった。

 初代女王は42歳のジョイス・スミス(英国)。道路につばは吐けないとハンカチ片手に走る姿は、男子のレースを見慣れたファンには印象深かった。テレビ視聴率は23%と大成功。82年に大阪、84年に名古屋が追随、日本は世界でも珍しい女子単独の国際レースを、毎年3つも開催することになった。

 現在、競技者レベルから市民レースまで合わせ国内では年間9万人近くがフルマラソンを走り、うち女性が約1万人を占める。その原点は東京にある。

[2000年6月10日/日本経済新聞 朝刊]

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