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「夜明け前」のランナー、“常識”覆した挑戦・女子マラソン物語(2)
ゴーマン美智子の活躍は女性ランナーを勇気づけた(優勝した74年のボストンマラソン〔著作権:AP.2000〕
 「夜明け前」に走り出したランナーがいた。日本陸連が女子マラソンの記録を公認する1980年以前の日本最高タイムをたたき出した女性である。

 78年のボストンマラソン、20歳の小幡キヨ子(現姓・大井)は2時間52分34秒で6位入賞を果たした。米国人と結婚、米国籍となったゴーマン美智子を除き、日本女性で初めて3時間を切った。

 小幡は佐渡の和太鼓集団「鬼太鼓(おんでこ)座」のメンバー。鬼太鼓座は75年からボストンに参加、完走後に大太鼓を打ちまくるパフォーマンスを売り物にしていた。3度目のボストンだった小幡も、レース後はゼッケンをつけたままで舞台に上がり、横幅1メートル以上もある太鼓をたたいて完走を祝った。

 佐渡での練習は男女一緒。メニューも同じだった。「すごくきつくて、もともと男、女という意識はなかった。42キロを走れる自信はあったが、当時は国内になかなかマラソンを走れる場所がなかった」

 79年2月の別大マラソン、小幡は女性としてただ1人出場した。「前例がない」といったんは断られたが、押しの一手で門戸を開いた。赤ハチマキを巻いて完走252人中173位の2時間48分52秒でゴールした。

 ゴーマン美智子が70年代にボストン、ニューヨークで計4回優勝、その活躍が伝わって日本の女性にランニングブームが押し寄せようとしていた。小幡が別大を駆け抜けた年の11月、東京国際女子マラソンが始まった。

 世界的にみても女子マラソンが認知されたのは70年代のことだ。陸上界には、女子にマラソンは過酷という常識が根強かった。

 ボストンの67年大会、キャサリン・シュワイツァーという女子学生が、名前をイニシャルの「K」として性別を隠して出場。途中でみつかり、関係者から止められそうになりながら完走するが、虚偽の申し込みなどを理由に選手資格を失った。

 「女子も男子に等しくマラソンを走る権利がある」。「K」の切なる訴えが女子マラソン解禁へと世論を動かし、ボストンは72年にようやく女性参加を公式に認めた。

 83年に世界選手権、84年には五輪で女子マラソンが登場。マラソンの男女機会均等は女性ランナーが常識に挑戦して勝ち取った、走る権利だった。

[2000年6月9日/日本経済新聞 朝刊]

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