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高橋けん引、層厚く・女子マラソン物語(1)
98年バンコクでのアジア大会で優勝した高橋
 シドニー五輪開幕まであと100日を切った。注目の女子マラソンは高橋尚子(積水化学)、山口衛里(天満屋)、市橋有里(住友VISA)の史上最強トリオが金メダルを狙う。国内で競技として定着してから約20年。日本の女子マラソンはシドニーで世界の頂点に駆け上がるか。

 1998年12月6日、正午過ぎの号砲を待つ福岡国際マラソンの発着点、平和台陸上競技場を複雑な興奮が包み込んだ。レース前の選手の話題は、女子マラソンで日本最高記録が誕生したホットなニュース。「もう暑いの寒いのといってられない。高橋より悪かったら坊主だよ」

 この日、バンコク・アジア大会女子マラソンは日本時間8時半にスタートした。気温32度、湿度90%の悪条件をはね返し、高橋尚子が独走で優勝。タイムは自らの日本最高を4分以上更新する2時間21分47秒。テグラ・ロルーペ(ケニア)の世界最高(当時)にちょうどあと1分と迫った。

 気温14度、高橋よりはるかに恵まれた条件で走る福岡の男子選手も心中穏やかではいられない。結局、“頭を丸める”べき選手は55人、完走者の過半数を超えた。

 日本陸連が女子マラソンの記録を公認したのは80年から。その1年前の79年11月、国際陸連が公認する世界初の女子単独レースとして第1回東京国際女子マラソンが実施された。

 「世界から20年は遅れていた」と、大会開催に動いた帖佐寛章・陸連副会長は振り返る。全国から市民ランナーら急造選手をかき集め、日本選手32人が出場。何人完走できるかと心配されたが、38歳の主婦、村本みのるは2時間48分52秒で日本勢トップの7位と健闘した。それでも優勝したジョイス・スミス(英国)とは11分差があった。

 女子マラソンは84年に五輪種目となり、日本の競技人口も増えていった。駅伝人気を追い風に創設された実業団の女子陸上部が、有力選手の育成を担う。92年バルセロナ、96年アトランタ両五輪で有森裕子(リクルート)が連続メダル。世界陸上では浅利純子(ダイハツ)、鈴木博美(積水化学)の2人の女王が生まれた。

 ただ、いずれも酷暑の夏マラソン。海外の有力ランナーが敬遠し、スピードより粘りが身上の日本勢が浮上した面は否めない。記録の面では日本と世界の間に約5分のタイム差が残っていた。

 バンコクの高橋が厚い壁を突き崩した。あの日、旭化成の宗茂監督は「(女子)マラソンの歴史を変えるレースになる」と話し、日本の急激なレベルアップを予言した。

 99年11月の東京国際で山口衛里が2時間22分12秒、今年1月の大阪で弘山晴美(資生堂)が2時間22分56秒。日本はいま、女子マラソンの世界歴代十傑に3人が名を連ねる。

 「いまの女子はモスクワ五輪前の日本男子とよく似ている」(宗監督)。瀬古利彦、宗兄弟が世界のフロントランナーを自負したあの時代だ。幻に終わったモスクワの無念から20年、悲願の金メダルに女子が大きく近づいた。

[2000年6月8日/日本経済新聞 朝刊]

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