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五輪ビジネス転換期に・IT革命、放映権で確執も
 1984年ロサンゼルス大会から五輪は商業主義への道を歩みだした。夏季、冬季合わせてそれから通算8回目の五輪となる2000年シドニー大会。五輪はもはや、スポンサーからの協賛金やテレビ放映権料を抜きにしての開催など想像もできないほど膨れ上がった。しかし、産業構造の急速な変化によって、五輪ビジネスも大きな転換期を迎えている。

 シドニー五輪で組織委員会(SOCOG)と国際オリンピック委員会(IOC)は26億ドルを稼ぐ。これらは大会の運営費に回るほか、国際競技団体(IF)や各国・地域のオリンピック委員会(NOC)に配分される。

 今ではインフラ整備や会場建設はともかく、大会運営費に公金が予定されることはほとんどなくなった。経済的にIOC加盟のすべての国・地域が五輪に選手団を送るのが可能になったのも、五輪というブランドの集金力のおかげである。

 76年モントリオール大会は地元にばく大な財政赤字を残し、80年モスクワ大会は西側諸国がボイコットした。資金難と政治の波にほんろうされ、開催都市にとって「お荷物」となりつつあった五輪を救ったのが、ロサンゼルス大会で組織委員会が導入したビジネス戦略だった。

 米国の気鋭の実業家、ピーター・ユベロス氏を組織委員長に登用。1業種1社に絞った「独占契約」方式のスポンサー募集などのアイデア商法で運営費を捻出。大会は1億5000万ドルの黒字を生んだ。この成功にIOCが目をつけ、翌85年、TOP(ジ・オリンピック・パートナー)と呼ばれる五輪スポンサー制度がスタートした。

 TOPは五輪のサイクルに合わせて4年ごとに展開。ロス五輪と同様に1業種1社に絞って10社前後を募る。契約企業は世界中で五輪のシンボルマークを利用したPR活動をする権利を得る。

 五輪をブランド化したこの商法は大成功した。TOPは現在、97年から2000年までの第4次プログラムを展開中。計11社が参加して、売り上げは総額5億5000万ドルに上る。85年から88年の第1次プログラムから5倍以上となった。

 一方、テレビ放映権料も、ロス五輪以降、飛躍的に膨らんだ。これもスポンサー制度導入と無縁ではない。五輪スポンサー企業が、PR活動をする最高の舞台は、五輪中継をするテレビのCM枠だからだ。確実に広告主が期待できるからこそ、テレビ局は放映権獲得のためにばく大な金額を用意できる。すでに五輪のテレビ放映権は2008年大会までパッケージ販売され、完売している。

 数字からみれば順風満帆に見える五輪ビジネス。だが、スキャンダルによるブランドイメージの低下以外にも、難題がひしめいている。

 テレビ視聴率を上げようと、大会運営や競技に過剰な演出が目立ってきた。プログラムをテレビのゴールデンタイムに無理に合わせたり、テレビ観戦を重視したスター偏重やルール改正。商業主義の行き過ぎは、五輪やスポーツの本質をゆがめたとも指摘されている。

 独占によるうまみで企業を引きつけたビジネス手法自体も、矛盾をかかえつつある。企業のボーダーレス化が進む時代に、1業種1社の原則がどこまで維持できるのか。

 さらに、インターネットの普及がある。五輪のテレビ放映権が他のプロスポーツのように、有料テレビの標的にならないのは、2008年までの放映権がすでに完売しているからだが、同時に、スポンサー企業の広告手段となっている以上、視聴者が限定されるメディアには放映権を渡せないという事情もある。

 インターネットが爆発的に普及し、テレビ以上のばく大な視聴者を持つメディアになればどうなるか。IOCはいまのところ、放映権者の権利を守るため、ネット上で流れる五輪映像の規制に神経をとがらせているが、将来は白紙という。「もう4年後にどうなっているかなんて、だれにも分からない。インターネット分野については当面、手つかずで置いておきたい」と、IOCのペイン・マーケティング部長。

 急激な産業構造の変化は、五輪とテレビ、スポンサーの蜜月(みつげつ)関係を一挙に崩壊させる可能性もはらんでいる。

[2000年6月7日/日本経済新聞]

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