NIKKEI NET
シドニー五輪2000
最新ニュース
new競技別
new解説者の目
五輪ビジネス
豪SMH紙から
みどころ・コラム
from シドニー支局
競技日程
選手紹介
競技会場
フォトギャラリー
国別メダル数
みどころ・コラム
私のチーム「ニッポン」・時代が生んだシドニー五輪選手たち(4)
宇津木はアトランタに出られなかった悔しさをシドニーにぶつける
 選手生活を左右する決断をさせたのは、ニッポンが与えてくれた誇りと喜びだった。中国からの帰化選手、ソフトボールの宇津木麗華(37、日立高崎)は、バンコクで開かれた1998年12月のアジア大会で日本選手団の旗手を務めた。日の丸を掲げた先頭での名誉ある行進。この時、宇津木は長年の“勤続疲労”で痛んだ右肩にメスを入れる決心をした。

 ずっと手術するかどうか迷っていた。再び元のようにプレーできる保証はない。おびえる背中をぐいと押したのが、旗手の大役。「この国でこんなに自分は大事にされているんだ」。続いて考えたのは、日本チームのために自分に何ができるか、だった。

 アジア大会で日本は中国に負けて2位に甘んじた。右肩痛のため指名打者として打撃に専念した宇津木は、三塁を守れずベンチでピンチのたびに歯ぎしりした。「サードにいたらピッチャーの近くで声をかけてやれるのに」。若い選手のためには打つだけでなく、守りについてこそチームに貢献できる。再びボールを投げるには手術しかなかった。

帰化した主な日本代表選手と出身国
▽ソフトボール
宇津木麗華37歳中国
▽卓 球
偉関晴光37歳中国
小山ちれ35歳中国
▽バスケットボール  (予選敗退)
ワイス団34歳米国
 帰国してすぐに手術に踏み切ったが、術後の苦もんは想像を超えていた。右腕は最初、まったく動かない。2週間でやっと中指が動き、ひじが動くまでにもう一週間。今もなお回復途上である。

 86年世界選手権で本塁打王、打点王の二冠に輝いたこともある中国代表の強打者だった宇津木は、94年8月に日本に帰化した。アトランタ五輪は日本代表不動の4番サードとして期待されたが、五輪憲章の「帰化して3年以内の選手は祖国の承認がなければ五輪に参加できない」が壁となって代表から外れた。それだけにシドニーへの思い入れは強烈だ。37歳になってなお衰えぬ情熱はアトランタの悔しさがバネとなっている。

 右肩も9月には以前のように動くはずだ。「かつてのような本塁打はなくてもヒットは打てる」と、打棒への自信は揺らいでいない。「目標はアトランタ(4位)で逃したメダル。できれば金色」。初出場の五輪に全力を尽くす。

 チームニッポンが世界と戦うのに、国籍を日本に変えた選手も重要な戦力となった。長野五輪のアイスホッケーで日系人の帰化選手が7人を数えたのは記憶に新しい。卓球のように全日本選手権で帰化選手が10人出場するといったスポーツもあり、ボーダーレス化は着実に進んでいる。

 シドニー後、宇津木には計画がある。「父を日本に呼びたい」。70歳になる父、任位凱さんは病気がち。元軍人で日本嫌いだったが、いまは日本でプレーする自分を認めてくれているという。(串田孝義)

[2000年5月26日/日本経済新聞 朝刊]

Copyright 2000 Nihon Keizai Shimbun, Inc., all rights reserved.