第6部 「個」からの再生

「日本経済新聞1面企画」

(6)日本の忘れ物・多様な価値観を活力に

 内申書に傷がつかないでしょうか――。家庭裁判所のある調査官は、「子供が傷害事件を起こして、裁判所に呼ばれた母親の8割近くが、こう尋ねる」と体験を語る。蛍光灯で人を殴ってケガをさせた中学生は、その日の塾には遅れずに出席していた。調査官が言葉を失うような、親子の変容が進んでいる。

  • 過剰な「優しさ」

     「独り暮らしすると、自由になるカネが減る。親の家に部屋があるのに、住居にカネをかけるのはもったいない。親に家事全般を頼り、月約30万円の給料は小遣いになる。結婚願望も特にない」(医療関係の35歳男性)。東京近郊に住む30代男女の親子関係と自立について調査している明星大学人文学部の岩上真珠助教授は、「カネやモノが、親から子へ一方的に流れていく」と話す。

     50-60代の親たちの多くは戦後、貧しい子供時代を過ごし、高度経済成長を支えてきた。子供にいい暮らしをさせたいと願い、それを実現させてきた。しかし、一方ではこうした親たちの、ときに過剰な「優しさ」が、子供の自立を遅らせ、自己中心的な思考をもたらしているのではないか。「若い世代は親が死ぬまで子供のままだ」と岩上はため息をつく。

     カネや偏差値を物差しとする画一的な価値観、自浄能力を欠いた企業や官庁の集団主義――様々な場面で“日本病”とも言うべき症状が噴き出している。それは、男女を問わず「個」として自立しきれない日本人の姿の投影であり、多様性を受け入れないできた日本社会の忘れ物でもある。しかし、企業や社会に活躍の場を広げる女性たちの中から、こうした画一性や甘えの構造から脱する新たなうねりが起きている。それがこの連載で追いかけてきた「静かな革命」だった。

  • “背骨”なき自由

     国際日本文化研究センター所長の河合隼雄は「日本は欧米の個人主義の上っ面を学んだだけ」と指摘する。「学生運動から護送船団方式の金融システムまで、社会全体がイエ(家)の縮図だった。戦後、制度としてのイエが崩れた後も、個とは何か、自分とは何かを見つめず今日まで来た」

     欧米の個人主義には、規範となり社会をまとめるキリスト教という背骨があるが、背骨を見いだせない日本は「自由になった半面、生き方や社会とのつながりを考えるのが難しくなった」と、河合は腕を組む。

     「欧米に社会のモデルを求めるのではなく、日本独自の道を模索する時代だ」と言うのは、今年の厚生白書をまとめた前厚生省情報化・地域政策推進室長の椋野美智子(42)だ。椋野は、個人の多様性を尊重しながら緩やかにまとまるNPO(非営利組織)などに、多様性を認め合う日本型モデルの一つの芽をみる。

     「広葉樹の苗木を自宅で育てませんか」。「MORI MORIネットワーク」(東京)の代表で林業経営者の山縣睦子(74)は、4月から樹木の里親制度を始めた。数年後に森に植樹する。「森の再生を関係者だけで議論してもらちが明かない」と2年前にネットを作った。当初は山村や都会の女性が中心だったが、今は3分の一が男性だ。職業や肩書は意味をもたない。経験や情報、資金などそれぞれの“資源”を持ち寄る緩やかな共同体への参加者は全国4000人近くに広がった。

  • 複眼が相乗効果

     会社と社会活動など、複数の活動の場を持つ人も増えた。アサヒビールの課長補佐兼、インターネットを軸にした市民団体「JCA―NET」の理事。小野田美都江(40)は二つの顔を持つ。同ネットは市民団体や働く女性ら約500人が参加、現在はフィリピンなどの女性団体と女性に関するデータベースを作る計画を進めている。「会社では仕事第一。ネットも全力投球。どちらが欠けても困る」。異なる立場で複眼的にモノを考えれば、相乗効果でそれぞれの仕事に活力が生まれる。

     個人が複数の「生きる軸」を持つことで初めて、社会の価値観も多様化していく。「“和”とは、迎合ではない。1人1人は個性豊かな自由人。でも全体は調和している。それが理想の社会だ」と言うのは哲学者の梅原猛だ。画一的な価値観の社会は、個人の創造力をそぐ。いまの日本の閉塞(へいそく)はそれを物語っているのではないか。

     しがらみに生きる男たちより一歩先に、まず「個」として生き、そこから社会との絆(きずな)を築き直そうとする女性たちの動きは、日本の背骨を形作る先駆けともいえる。バブル崩壊から8年、大企業という“大樹”を自ら離れ、実力を試そうとする男たちの姿も見え始めた。女たちの静かな革命の行き先は、多様な生き方を受容する、しなやかな日本への再生である。=敬称略

    (最終回)

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