(5)医薬品の「動物工場」

 昨年2月。英ロスリン研究所が世界で初めて、体細胞を利用した複製(クローン)羊「ドリー」を作るのに成功した、とのニュースは世界中をあっと驚かせた。動物の体から細胞を取ってくれば、全く同じ遺伝子を持つクローンがつくれる訳だから大騒ぎになった。

血友病治療に道

 それから1年余り。取材班は英エジンバラ近郊にあるドリー生誕の地を訪れた。エアコンがよく効いた飼育場室内に入ると、妊娠中で丸々と太ったドリーがたたずんでいた。

 「ドリーの出産予定日は秘密。情報が漏れるとまた大騒ぎになるからね」。案内してくれたロスリン研究所のハリー・グリフィン副所長は、にやっと笑った。

 そのドリーの足元に、一回りほど小さい羊がまとわりつく。ドリーから1年遅れの昨年7月に誕生したクローン羊「ポリー」だ。ドリーに比べて知名度は低いが、世界の製薬業界が今熱いまなざしを注いでいるのは実はポリーの方である。まだ1歳に満たないポリーが将来出す乳は、従来の医薬品の作り方を大きく変える可能性があるからだ。

 ポリーには、血友病の治療に使うヒトの血液凝固第九因子をつくる遺伝子が組み込まれている。ポリーが大きくなって第九因子を含む乳を出せば、その中から分離、精製して血友病治療薬をつくることができる。

 この技術を開発したのはロスリン研究所と、英バイオベンチャーのPPLセラピューティクス(エジンバラ)の研究チーム。技術の仕組みはこうだ。

 あるメス羊の胎児から分裂性の高い体細胞を選び出して培養する。遺伝子組み換え技術を利用して、その細胞にヒトの血液凝固因子をつくる遺伝子を組み込む。この細胞を別のメス羊の未受精卵に移植して、分裂・成長させる。

 動物の遺伝子組み換えは以前から可能だった。PPLも受精卵の遺伝子を組み換える手法で、すでに「アルファ―1―アンチトリプシン」と呼ぶ医薬品候補物質を羊の乳でつくっており、臨床試験に入っている。ただ、受精卵は大量に手に入るわけではないうえ、遺伝子組み換えの成功率も低いので、遺伝子を組み換えた動物を増やすのは難しかった。

「50匹いれば」

 ポリーの誕生は、遺伝子組み換えとクローン技術を融合して、特殊な遺伝子を組み込んだ動物を大量に増やすメドが立ったことを意味する。

 PPLは今年3月、羊の乳から第九因子を大量に抽出することに成功した、と発表した。抽出量は1リットル当たり300ミリグラムで、人間の血液中に含まれる濃度の60倍に相当する。「(ポリーと)同じような羊が50匹いれば、世界中の需要をまかなえる」(アラン・コールマン研究部長)。

重い倫理問題

 この50匹のポリーは医薬品生産の「動物工場」となる。がん治療薬なども動物が生産する時代が来るだろう。

 ドリー、ポリーの成功に追いつけ、追い越せ――。最先端のバイオ技術開発で英国と先頭争いを演じる米国で、遺伝子組み換えとクローン技術を駆使して動物工場の建設に取り組むベンチャー企業がある。

 マサチューセッツ州フラミングハムに本拠を構えるジェンザイム・トランスジェニックスだ。同社は遺伝子を組み換えたヤギの乳でつくった血液抗凝固剤「アンチトロンビン3」の開発に成功、臨床試験に入った。住友金属工業と日本に合弁会社を設立しており、99年初めをメドに日本の医薬品メーカーに臨床試験を依頼する方針だ。

 ジェンザイムは昨年秋、クローン技術のバイオベンチャー、アドバンスト・セル・テクノロジー(ACT、マサチューセッツ州)との間で、クローン牛の共同研究契約を結んだ。

 そのACT社とマサチューセッツ大のジェームズ・ロブル教授の研究チームが今年1月、体細胞クローン牛の出産に世界で初めて成功した。

 ACT社などの研究チームの手法は、ロスリン研究所がドリーを誕生させたのとほぼ同じ。クローン牛の誕生で、ジェンザイムは、英国勢を急追する。

 日本でも遅ればせながら、クローン動物を作る研究がスタートした。大分県や農水省の畜産試験所などがクローン牛の研究に取り組んでおり、少なくとも18頭が妊娠中であることが最近確認された。狙いは「霜降りの高級和牛を一般家庭に安く提供する」(大分県畜産試験所)ことだ。早ければ7月下旬にも第一号が誕生する見通しだ。

 農水省畜産試験所の仮屋尭由・繁殖部部長は「遺伝子組み換えで、栄養価の高いたんぱく質を含む牛乳をつくる牛などをつくり、クローン技術で大量生産することも可能」と、未来の畜産業の「青写真」を語る。

 ただし、クローン技術には倫理的な問題がつきまとう。人間の体細胞から「複製」をどんどんつくったらどうなるか――。こうした想像からクローン技術そのものに対する反発が出るのは避けられない。

 今年7月、ドリーは二度目の誕生日を迎える。クローン技術は倫理問題をはらみつつ、「SF技術」から現実の技術になりつつある。(特別取材班)

[日経産業新聞]

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