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米シリコンバレーに「バイオのマイクロソフト」と呼ばれる従業員660人強の新興企業がある。生物が持つ遺伝子情報を独自解析してデータベース化し、その情報に対するアクセス権を販売するインサイト・ファーマシューティカルズだ。91年の創業だが、すでに株式を公開。97年度は売上高8800万ドルに対し純利益1000万ドルを計上、バイオベンチャーの中で突出した収益率を誇る。
250万種の情報
顧客リストにはスイスの医薬大手ノバルティス、英ゼネカ、米ファイザーなど米欧のビッグビジネスが名を連ねる。インサイトのロイ・ウィトフィールドCEO(最高経営責任者)は「マイクロソフトのパソコン用基本ソフトがビジネスのインフラになったように、あらゆる医薬品メーカーに我が社のデータベースを研究開発インフラとして使ってもらうことが目標だ」と力をこめて語る。
主力製品の一つ「ライフシーク」には、ヒトの細胞や組織から解析した遺伝子DNA(デオキシリボ核酸)の配列など250万種類の情報がぎっしり詰まっている。情報が欲しい企業はインサイトと契約し、パソコンなどで必要なデータに有料でアクセスする。
なぜ遺伝子の情報が付加価値を生むのか。現在、全世界でヒトDNAの塩基配列を解明するという壮大なプロジェクトが急ピッチで進んでいる。21世紀初頭に全塩基配列が解明される見通しだ。そうなれば遺伝子レベルで病因の解明が進み、新薬開発も飛躍的に進歩する。
日本経済新聞社が実施した未来市場予測調査によると、2020年の世界市場規模は、エイズ治療薬が1998年の4.4倍の1兆2000億円、がん治療薬は98年の3.8倍の3兆2000億円にのぼる。
こうした医薬品の開発で重要になるのは、コンピューターを利用して膨大な遺伝子情報を迅速に処理し、実際の医薬開発や診断に応用する新技術「バイオ・インフォマティクス」だ。石井威望・慶大教授は「21世紀になればバイオ・インフォマティクスがバイオ分野の技術革新の決め手になる」と語る。
「遺伝子は宝の山」。そう予見したインサイトは、シリコンバレーのコンピューター会社から優秀な技術者を積極的にスカウト、ヒト遺伝子解析の「頭脳集団」を他社に先駆けて作り上げた。すでに150人強のバイオ・インフォマティクス技術者を擁する。
インテルを意識
インサイトの躍進の背景には、新薬開発競争で大手医薬品メーカーの研究開発費が膨らみ、研究開発のアウトソーシング(外部委託)を進めざるを得ない、という事情もある。
例えばインサイトとデータベース契約を結ぶ英ゼネカ・ファーマシューティカルズ。グレアム・ブルノア上級副社長は「ゼネカには当然、遺伝子を自前で解析する能力がある。だが経済的にみて、我が社は主力事業である新薬開発に経営資源を集中投入し、遺伝子解析は外注した方が得策と判断した」と語る。
インサイトがバイオのマイクロソフトなら、「バイオのインテル」を目指すのは、同じくシリコンバレーに本社を構えるアフィメトリックスだ。
同社が開発した遺伝子解析用のバイオチップ「ジーンチップ」は、チップ上で何万種類もの遺伝子配列を同時に解析でき、多くの医薬品メーカーや大学の研究機関が採用している。
アフィメトリックスのステファン・フォードア社長兼CEOは「我々は単にチップを製造するだけでなく、チップの上に膨大な遺伝子情報を搭載している。インテルが開発するチップに様々な情報が搭載されているのと同じだ」と語る。
バイオのウィンテル(マイクロソフトとインテル)を目指せ――。米国ではこの両社のほかにも、独自技術を武器に新市場を切り開くベンチャー企業が相次ぎ誕生している。
各社に共通するのは付加価値が高いソフトやチップを主力製品に持ち、その得意分野に特化している点だ。彼らはIPO(新規株式公開)を通じて資本調達力やブランド力を増強。その一方で、優秀な技術者を採用したり、新興企業を買収するなど、技術革新の手を緩めない。インテルやマイクロソフトの成功体験にならった戦略だ。
コンピューター業界もバイオを新たな成長分野に見据え、経営資源を投入し始めた。米シリコングラフィックスがインサイトと、ヒューレット・パッカードがアフィメトリックスとそれぞれ提携し、遺伝子情報を高速解析する新システムの共同開発に動いている。
「情報革命とバイオ革命が融合して21世紀には『バイオ・インフォメーション・エイジ』と呼ぶ時代が到来する」。未来学者のアルビン・トフラー氏が取材班に語った予言は、すでに現実となりつつある。
米国はクリントン大統領が今年1月末の一般教書演説でバイオ産業支援の姿勢を強調するなど、官民一体となってバイオ・インフォメーション時代の覇権を握るという明確なビジョンを打ち出している。
動かない日本
一方の日本はどうか。ベンチャー主導でバイオ・インフォメーション時代を開拓する米国に比べ、日本の出遅れ感は否めない。
日米のバイオ事情に詳しいジャフコの大滝義博・投資調査部長は「米国のバイオ研究は解析した遺伝子情報を使って具体的に何をするか、という第2,第三の段階に入っているが、日本はまだ遺伝子情報そのものを解析している段階」と語る。
取材班は日米のバイオ研究者100人を対象に電子メールで意識調査を実施した。その結果、日米とも「日本のバイオ研究は欧米に比べて遅れている」という厳しい共通認識を持っていることが明らかになった。
80年代に世界の半導体・エレクトロニクス産業を制した日本企業に対抗して、米企業は90年代、デファクトスタンダード(事実上の業界標準)の獲得などで世界の情報産業の覇者となり、競争力復活を成し遂げた。その勢いで、次のミレニアム(1000年紀)の幕開けとなるバイオ・インフォメーション時代の機先を制しようとする米企業。日本はこの地鳴りをどう聞くだろうか。(特別取材班)

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