|
雇われる立場から、雇う立場へ。温かい大企業の懐を飛び出し、起業に乗り出す人々の活躍が目立ってきた。責任が軽い代わり、得るものもそれなり――という平均的なサラリーマン生活も、腕を磨く場所ととらえれば、インキュベーター(ふ化器)に成り得る。
自分のために
「4カ月間の社内失業が人生を変えた」。家庭用ゲーム機など特定用途向け大規模集積回路(LSI)設計・開発のベンチャー、メガチップスの創業者、進藤晶弘社長(57)は振り返る。49歳でリコーを退社して会社を設立、創業8年目の昨年8月、念願の株式公開を果たした。
大学卒業後、三菱電機に入社した。発足直後の光センサー担当部署に配属されるが、同社は間もなくその事業を断念。大企業の撤退は当時珍しく、進藤氏を含む技術者3人は“A級戦犯”扱いで辞令も仕事もないまま工場に通うことになる。最初は専門書を読んで過ごしたが、気力は続かず、やがて漫画に変わり、昼寝に費やす。「ならくの底で仕事のありがたみと目標の重要さが身にしみた」
4カ月後、初めて辞表を出し、「立ち上げ屋」としての人生がスタートする。会社は辞表を受けず、ミノルタへの出向を命じた。戻って半導体に出合うが、設計をやりたくて、リコーに転職。11年後、システムとLSIのワンチップ化を提唱したが受け入れられず、独立した。原動力は「子供っぽさ」。挑戦して失敗した時は、「一からすべてやり直す気でいた」という。
独立後の経営方針は「大企業のいい点と悪い点をすべて学んで定めた」。社長になった進藤氏が社員に求めるのは「自己責任」。「自分で考え、行動し、失敗しても解決する。まず自分のために働いて、結果、会社が発展すればいい。社内から起業家が出れば、何よりの誇り」という。今でも秘書を持たない。
人材の流動性が低いとされる日本でも、進藤氏のような脱サラ起業家を受け入れる社会的なインフラが次第に整ってきた。起業家に投資するベンチャーキャピタル(VC)、公的・私的なベンチャー企業支援制度、そして新しいアイデアを受け入れる取引先などだ。もちろんリスクは大きいが、前の企業での成功も失敗も貴重な体験とされ、信頼に変えることができる。
経営面でも革新
「退職ではなく、退社にしたかった。起業が盛んな米国でも、そんな年になって、とあきれられたが……」。米国の半導体ベンチャー、ボール・セミコンダクター(テキサス州)の石川明会長兼社長(61)は静かにほほ笑む。米テキサス・インスツルメンツ(TI)副社長兼日本TI社長の座を投げ打ち、ボール社を創業したのは96年。「小さい集積回路(IC)をやる」という夢を実現するため、周囲の説得を振り切り、現役ビジネスマンにこだわった。
ボール社は直径1ミリの球状のシリコン表面にトランジスタ回路を焼き付ける球状半導体の開発を進めている。平らなシリコンウエハーを使う現在のICとは根本的に異なる革新的な技術で、「普通は1000億円以上とされる量産投資の必要額が100億円程度で済む」点が売り物だ。創業時には「ユニークだが、できっこない」と言われた。しかし、昨年10月には試作品の完全動作が確認できるまでになり、世界各国の優秀な技術者がボール社に集い始めた。
大学卒業後、石川氏が選んだのはチッソ。希望通り半導体向けシリコン材料の生産・検査を担当したが、ICの考案者であるジャック・キルビー氏がいたTIにあこがれ、日本TIの門をたたいた。その後は生産技術の革新、工場の立ち上げ、組合運動への対応――と次々に難題を克服。最後は本社副社長として国際提携を担当、売上高にして年間1000億から1500億円の事業を毎年一つずつ立ち上げた。「好きだから一生懸命やったし、TIの中で育つのは楽しかった」
「ビジネススクールでも教えない理想の会社にしたい」。石川氏は技術面だけでなく、経営面でも革新を目指す。社内規定はなく、組織図も作らない。「自己管理ができ、目的達成意欲を持つ100人以下の個人の集まり」を目指す。
人材に市場価値
「大企業には1000人に1人か2人ぐらいの割合で、格段に能力の高い人が必ずいる」。人事関連のコンサルティング会社、ワトソンワイアット(東京・千代田)の淡輪敬三社長は言う。課題の結果をイメージして現状を分析、シナリオを書き、社内外の人を動かしてプロジェクトを成功に導く。そんな人材が埋もれているというのだ。
長時間かけて企業内で育成される「組織原理型」の人材はシステムの維持をどうしても優先しがちだ。彼らが多数派を占める企業内では、まったく新しい価値や利益を生み出す可能性を持つ“スーパーサラリーマン”の活躍は制限される。だが、転職や起業の道が開け、人材を市場価値で評価する機会が広がった。社員と会社の新しい循環が生まれようとしている。(「社員と会社」取材班)

|