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NIKKEI NET

更新:2009/07/02

(11/28)大統領の深謀(安藤茂彌氏)

 間もなく12月7日がやってくる。この時期になると真珠湾攻撃が必ず特集される。日本では12月8日だが、アメリカでは時差の関係で12月7日である。この日はアメリカ本土が始めて攻撃された日である。しかも奇襲という卑劣な手で。セプテンバー・イレブン(9月11日のテロ攻撃)は二度目に本土を攻撃された日である。この二つは、アメリカ人の心の中に連想ゲームのように思い起こされる苦い事件となっている。

 真珠湾攻撃の真相については日米で既に多くの研究書が発刊されている。米国内で過去の公文書の公開が進み、更に真相が明らかになってきた。筆者はロバート・スティネット、ゴードン・プランジ、ジョン・コールマンといった研究家の著作を通じて、現時点での真相を調べてみた。

 1940年の世界情勢は、ナチス・ドイツが欧州全土で戦果を収め、ポーランド、オランダ、ベルギー、フランスを占領し、英国本土も空襲に晒される危険が迫っていた。英国チャーチル首相は再三に亘って当時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトに参戦を要請した。しかしアメリカ市民は全く無関心で、従来からの孤立主義を堅持し、欧州戦線に参加すべきではないとしていた。ましてや日本との戦争には全く反対であった。

 当時、アジアにおいて日本は、満州国の建国、日中戦争の長期化の中で、大東亜共栄圏を構築すべく戦線を拡大していた。40年9月にはドイツ・イタリアとともに三国同盟を締結した。日本が中国・東南アジアでこれ以上勢力を伸ばすことを好まなかった米国は、日本に厳しい経済制裁をかけてきた。41年7月には在米資産の凍結、日本船舶のパナマ運河通過禁止、石油、鉄鋼、金属類の全面禁輸が実施された。資源の補給を断たれた日本は、日米開戦を準備せざるを得ない状況に置かれた。

 ルーズベルト大統領は、如何にして米国民をヨーロッパでの参戦機運に導くかに腐心していた。その政策は、"日本に先に攻撃させる"政策であった。これによってアメリカ国民の愛国心を煽り日米戦争に突入する。そして三国同盟を結んでいたドイツに参戦して、英国を助けるシナリオであった。

 大統領はかなり早い時期から、日本がアメリカを攻撃するとしたら、真珠湾であろうと踏んでいた。40年10月には太平洋艦隊を"抑止力"としてハワイの真珠湾に常駐させる政策を取った。真珠湾の海軍司令官のリチャードソン大将は、軍事的見て「真珠湾には弾丸、燃料補給、訓練施設等のインフラが揃っておらず、大艦隊をここから出動させるには無理がある。むしろ基地をサンディエゴに移転すべきである。」と主張してこの政策に反対した。大統領は41年2月にリチャードソンを解任し、キンメル大将に交替させている。

 米国政府が日本の政府・海軍の暗号解読を組織的に行なうようになったのも、この頃からである。暗号の傍受は、マニラ、グアム、ハワイ、アラスカ、シアトル、サンフランシスコの各無線監視局で行なわれた。41年4月頃には日本海軍の五数字暗号を迅速に解読する解読機も開発されていた。暗号解読機はコルヒドール(マニラ)とワシントンだけに設置され、そこからホワイトハウスとワシントンの米軍高官に報告された。ハワイに駐在する太平洋艦隊海軍司令長官キンメル大将とショート中将はワシントンからの報告に全面的に依存していた。

 日本海軍は41年3月に、森村正という偽名を使って海軍少尉吉川猛夫をホノルルの領事館に赴任させた。彼の使命は真珠湾に停泊する艦船の正確な位置を日本に報告することであった。米国政府は同人のスパイ行動を監視しながらも、逮捕・強制送還せず、発信情報を傍受するのに役立てていた。FBI長官フーバーは同人の存在に気づき、大統領に逮捕を進言したが、聞き入れられなかった。森村の電報はマニラとワシントンで暗号解読されたが、ハワイの司令官には伝達されなかった。

 真珠湾攻撃を行なった日本海軍の第一航空艦隊は、千島列島択捉島の単冠(ひとかっぷ)湾に集結し11月26日に出航している。この日から真珠湾攻撃の日まで無線封止が行なわれるはずであったが、実際にはこれが守られなかった。この間の日本軍内部の交信情報は太平洋全域の米国無線監視局に筒抜けになっていた。

 日本の第一航空隊が千島を出発した直後に、米国海軍当局は北太平洋を"真空海域"に指定し、米国と連合諸国の船舶はこの海域を避けて南太平洋ルートに航路変更するように指令された。同時にキンメル大将にも守りを固めるように注意を喚起した。しかし肝心な情報は伏せたままであった。キンメルは心配になって、艦隊を北太平洋海域に偵察に出したが、ホワイトハウスからの命令で真珠湾に引き返させられた。ハワイ市民が動揺するのを回避するのが表向きの理由であったが、ホワイトハウスは日本に先に攻撃させることに拘ったのである。

 米陸軍と米海軍は11月27日に太平洋拠点の各将校宛てに、戦争警告文を流している。「日本との外交交渉が決裂し、数日のうちに日本からの武力攻撃が予想される。日本との戦闘行為を避けることができないのであれば、米国は日本が最初に明白な行為をとることを希望する。」と言った内容になっている。但し、この警告文では日本の攻撃がどこに行なわれるのかには言及していない。

 この警告文の直後にホワイトハウスがキンメルに出した指令がある。真珠湾に停泊していた空母エンタプライズとレキシントン等の近代的な軍艦21隻と戦闘機18機を、ウエークとミッドウェーに移動させる命令である。理由は2拠点の戦力増強であった。真珠湾にはアリゾナを始めとする第一次世界大戦の遺物ともいうべき老朽化した戦艦だけを残すようにした。

 攻撃のゴーサインとなった「ニイタカヤマノボレ1208」がでたのは12月3日だった。この隠語暗号を傍受したワシントンの軍事当局は、攻撃の日が12月8日であると推測した。こうした情報が全く伝達されなかったキンメルは、12月6日(土)夜ワイキキ海岸のホテルで開催された宴会に出席し、翌7日(日)にはショート中将とゴルフをする約束をしていた。

 日本政府は12月6日にアメリカ政府に国交断絶通告を打電した。この文書はワシントン駐在日本大使館が受けて、米国東部時間で7日午後1時(ハワイ時間で午前7時)までに米国政府に手交されねばならなかった。文書は12月6日に日本大使館に届いていたにも拘わらず、その晩に書記官の転勤送別会があり放置されたままになっていた。これを翻訳してアメリカ政府に届けたときには、真珠湾攻撃は既に始まっていた。アメリカ側が"この奇襲は騙まし討ちであった"と非難する格好の材料を与えることになった。

 公式の外交文書の到達は遅れたものの、ホワイトハウスは無線傍受によりその内容を事前に把握していた。傍受内容が米軍首脳に届いてから、太平洋各地の司令官に伝達する電文は遅れた。ハワイのキンメル将軍に届いたときには、真珠湾の艦隊は既に火の海に包まれていた。攻撃開始は7日午前7時53分であった。

 "日本に先に攻撃させる"ルーズベルトの戦略は成功した。アメリカ国民は真珠湾攻撃によって愛国心に火をつけられ、日本への応戦を叫び、独伊への参戦に賛成した。このときのルーズベルト大統領の支持率は87%にも上っていた。真珠湾で犠牲になった米兵は2800名を超えた。キンメル大将とショート中将は、10日後に職務怠慢を理由に解任・降格された。

 しかし、一部の国会議員は、何故これほどまでにハワイの太平洋艦隊が無防備であったのかについて疑問を呈し、事情を調査する委員会を発足させた。米軍幹部は傍受証拠を一切提出せず、関係者には厳重な箝口令をしき対応した。委員会は、米軍幹部が故意にハワイに情報伝達をしなかった事実はなかったと報告した。95年にキンメル大将とショート中将の遺族が、名誉回復を求めて改めて調査を求めたが、それでも結論は変らなかった。

 また12月7日がやってくる。アメリカのメディアは一斉に"真珠湾を忘れるな"を報道するだろう。だが、どの戦争にも開戦の"仕掛け"があるように思う。乗せる側と乗せられてしまう側がある。乗せる側は、"仕掛け"を伏せて戦争を正当化する。セプテンバー・イレブンはアメリカがイラク戦争を正当化するのに使われた。この二つの事件は酷似していると見るのは、筆者の行過ぎた"連想ゲーム"であろうか。

◆安藤茂彌氏◆
 東京大学法学部卒、三菱銀行入行、MIT経営学大学院修士、三菱銀行横浜支店長を歴任。96年に東京三菱銀行を退職、シリコンバレーに渡り、ウェブ上で米国ハイテク・ベンチャーを日本語で紹介するサービスhttp://www.ventureaccess.comを提供中。
[11月28日]
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