
2010年3月23日午前2時、東京・大手町にある日本経済新聞社東京本社の編集局フロアの一角。担当デスクが「ページアップ」のボタンを操作すると、「日本経済新聞 電子版」(Web刊)のトップ画面に「ゲイツ氏、東芝と次世代原発」という大見出しがアップされた。日経電子版が記念すべき創刊を大スクープで飾った瞬間だ。編集局はもちろん、創刊準備の事務局が詰めていた通称「戦略ルーム」でも大きな歓声が上がり、喜びを分かち合った。
日経が電子版の創刊に向けて取り組みを始めたのは2006年春。日本の新聞界では前例がなく、世界的にも先端をめざすプロジェクトだった。編集局や情報技術本部、業総務部門など日経本社の各部局はもとより、日経グループ各社からも人材を集め、開発や事業化の作業を進めていった。
プロジェクトには組織の枠を超えて数多くの若手社員が加わっている。一人ひとりが重要なプレーヤーとして仕事を任され、議論と創意工夫、試行錯誤を重ねて困難な課題を突破していった。

「10秒前、5秒前、3、2、1、スタート!」――。電子版の事業展開を担うデジタル編成局のシステム開発部隊、ウェブ開発部に所属する山科寛人(2007年入社)は2009年のある夜、緊張した面持ちでストップウォッチを見つめていた。
山科は「日経IDシステム」の開発チームの一員。電子版のユーザー管理や認証を一手に担い、様々なサービスを提供するためのインフラとなるシステムの担当だ。この日はユーザーからのアクセスが極端に集中したケースを想定し、システムに負荷をかけるテストに臨んでいた。連携する他のシステム群の開発に影響が出ないよう、テストは深夜に実施する。負荷の量とシステム側の設定を細かく変更し、様々な条件でテストを繰り返した。
山科は進行管理を任され、次々に先輩たちに合図を送る。外部のシステムメーカーの技術者も参加し、緊張の連続だ。「成功を祈るような気持ちになった」が、夜明け前に無事終了した。日を改め、結果を分析。チームで一段の性能向上策を考えて次のテストに生かす。「電子版は有料サービスだけに、アクセスが集中して使えないという事態は決して許されない」。責任の重さを実感。創刊を前に目標の性能を達成したときは「心底ほっとした」と振り返る。

電子版創刊後も「新端末対応」というミッションに起用された。米アップルの携帯電話「iPhone(アイフォーン)」でより快適に利用できるよう、専用のアプリケーションを開発するチームに加わった。
「多くのユーザーからアプリへの要望が寄せられていたので、とにかく急いで開発せよと指示を受けた」というが、制約の中でも自身のこだわりは貫いた。それは「紙の新聞と同様に、iPhoneでも記事の重み付けや関連性が直感的に分かるようにする」こと。ネット媒体はニュース価値にかかわらず、時系列で記事をどんどん掲載していく例が多いが、紙の新聞では編集局が個々のニュースの価値を厳正に判断し、掲載する面や位置、見出しの大きさなどを変えることで「重み」や関連性がひと目で分かるようにしている。山科はiPhoneの表現力や操作性を生かし、これを画面上で再現することをめざした。複数の案を考え出し、微修正を重ねてチェックを受ける。見やすさを優先すれば一覧性が犠牲になる。複雑な体系にすると分かりにくい。厳しい二律背反の中で最適解を突き詰めていった。

思い出に残っているのが、ここでもテストだ。完成間近のアプリを実際に使ってみる。チームで手分けをして地下鉄の各路線に乗り、電波の圏外を繰り返し通過しても安定して動くかなどを確かめていった。圏外での動作を調べるため、電波が届かない日経本社の地下で、「メンバーと一緒に地下の階段を何度も走って上り下りし、圏外と圏内を行き来して調整した」。アプリは多くの読者に愛用され、それが手ごたえとなる。「ユーザーの声を受けとめ、機能の追加や他の端末対応にも取り組みたい」。挑戦はこれからも続く。

「まったく新しいシステムの上に、まったく新しい画面をつくることになった。しかも、これまでつくってきたサイトとは規模が違った。とても大きく、簡単に変更などできない」。デジタル編成局編成部の浅沼友子(2003年入社)は電子版にかかわった2009年を振り返る。入社以来、ニュースサイト「NIKKEI NET」の運営に携わったが、2006年春から2年間、編集局産業部で新聞記者として取材し、原稿を執筆した経験を持つ。その後、集英社と日経が共同で運営している「マリソル@NIKKEI」などのサイト新設を担当。サイトのコンセプトづくりから企画、画面の設計・デザイン、コンテンツ調達をはじめとする工程管理、運用まで手がけるなど、さらに仕事の幅を広げてきた。
電子版で浅沼が担当したのは、情報技術(IT)や環境など幅広い技術情報を提供する「テクノロジー」と、オフタイム向けの情報が読める「ライフ」の2つの専門セクション。電子版の開発は、経験やノウハウだけで乗り切れるほど甘くはなかった。電子版の設計・開発では、編集局で実際に原稿を書く出稿部と、紙面を編集しつくり上げる整理部からデスクや記者らが参加し、ネットをつくってきた編集者や技術陣らと一堂に会して議論を重ねる。「これだけの規模で紙の新聞の書き手と編集者、ネット技術者が集まり、真剣になって、ネット上にもう一つの新聞をつくろうと議論したのは初めてだと思う」と語る。
紙の新聞では、記事の重み付けを示したり、読みやすく組み上げたりする数々のテクニックやルールが長い歴史の中で脈々と培われてきた。これをいかにネット上で実現するかは大きなテーマ。「会議では、初めは遠慮しがちだったけれど、技術的にどうしてもできないことがある。そんなときは、先輩にもずけずけと話をした」。役に立ったのが新聞記者の経験だ。紙の世界とネットの世界では用語も違えば、価値観が異なることも多々あるが、その両方で仕事をしたからこそ、「橋渡し役」を務められた。
創刊後は、担当するセクションの運用に加え、新しい画面の設計なども受け持っている。「細かい改善を積み重ねていけば、磨かれていくのは紙もネットも同じ」。一人が一日にできる改善の幅は小さくても、全員で取り組めば、電子版は昨日とは違う、よりよいメディアになる。浅沼はそれが「進化するメディア」だと考えている。



「パソコンは大の苦手。人違いではないか」――。西部支社販売部にいた井ノ口敏典(2000年入社)は2009年春、日経電子版のマーケティングや販売促進活動を担うデジタル販売局販売部(当時は第2販売局電子新聞販売部)への異動を告げられたとき、思わず不安にかられた。
西部支社には6年間在籍し、このときは福岡県中南部の新聞販売店約200店を担当していた。その間、地元の大学と組んで大学生向けに記者の講演会や印刷工場の見学会を企画したり、地元の日経ファンの会をつくったりするなど「イベントをどんどん企画して部数増をめざしてきた」。女性向けの新聞の読み方セミナーを開き、テレビでも知られる著名人を講師に招いたときは2000人の応募者を集めたこともある。しかし、「電子版は勝手が違うはずだ」。
予感は的中した。異動すると、パソコンやネット技術、ウェブマーケティングの専門用語が当たり前のように飛び交っている。正直に言うと「よく分からなかった」。しかし、かねてパソコンの知識は身につけたいと思っていたのも事実。「仕事で勉強ができるのだから、これはチャンスではないか」と発想を転換、解説書を読みまくった。ウェブマーケティング会社との打ち合わせでは何度も“難解語”に出くわしたが、臆せず発言し、家に帰って勉強を繰り返した。


2010年1月には電子版販売の仲介店と契約の交渉をするプロジェクトに加わった。さらに創刊に備え、販促グッズやパンフレットなど配布物の制作も担当。創刊が近づいてくると、電子版のコンテンツや機能をわかりやすく整理し、販売店や販売会社などに伝えて問い合わせに備えた。
3月23日の創刊当日の朝、井ノ口は東京・JR有楽町駅前の「ビックカメラ有楽町店」にいた。店頭にパソコンのデモ機を設置し、電子版に実際に触れてもらう。「日経電子版、創刊しました」と大声を振り絞り、興味を示してくれた人にはすかさず近寄り説明する。日経のイメージキャラクターになった女優さんが出演するイベントも開催。夕方からはあいにくの雨に見舞われた。が、閉店する午後10時まで大声を出し続けることができたのは「立ち寄ってもらったときは本当にうれしい」からだ。
創刊後、最も手ごたえを感じた仕事は、2010年秋から全国主要都市で開いた「日経電子版セミナー 全国キャラバン」だ。紙の新聞と電子版を上手に活用する方法などを編集局の幹部らが紹介し、毎回100人を超える来場者を集めた。イベントは得意中の得意のはずだが「これだけの規模のイベントを自分たちだけで一から企画し、実行したのは初めて」だった。
当初は裏方を務めていたが、第4回の福岡会場では現場の運営責任者に起用された。裏方の経験を生かし、「お祭り感覚で盛り上げるよう心がけた。ただ、これまでのセミナーで帰宅時間を気にする方が多かったので、進行の管理には気を配った」。終了後、得意のトークで多くの来場者に購読の申し込みをいただいた。その後のセミナーでも相次ぎ運営責任者を務めるチャンスをつかみ、さらに実績を積み上げている。
大切にしているのは、熱い思いときめ細かい心配り。福岡で開いた新聞販売店向けの説明会では、「電子版はこんなふうに売り込んでいただきたい」との思いを込めて自らシナリオを書き、西部支社の担当者と2人で寸劇を演じて説明した。「多くの拍手をいただき、稽古を重ねた甲斐があった」。
電子版の販売ノウハウは「自分たちがゼロからつくっている」との自負が井ノ口にはある。後輩へのメッセージを問われると「初めて挑戦することばかりなのでたいへんだが、やりたいことを提案すれば通る。一気に販売の“オールラウンドプレーヤー”になりたいなら、この部署はおすすめだ」と力を込めた。
