あのとき、感じたこと。〜 スクープの裏側にある情熱 〜

横浜の傾斜マンション特報 積み重ねた事実の断片 横浜支局・山本公彦

2015年10月14日、朝刊社会面で「虚偽データで基礎工事 横浜、大型マンション傾く」を特報。翌年の2016年2月27日には別の大手デベロッパーが手掛けたマンションについて「建設中、鉄筋一部切断か」を朝刊社会面で特報した。報道しなければ表面化することがなかった、これら2つの問題。大手デベロッパー2社はいずれも一部の棟のみの補修などで対応する考えだったが、日経の特報後に方針を一転させ、それぞれマンション全棟の建て替えを表明した。スクープは国も動かす。政府は2016年10月、下請けへの「丸投げ」を禁止する判断基準を明文化し、建築業界の長年の慣行にメスを入れた。

山本公彦 横浜支局記者 2000年4月、日本経済新聞社入社。東京本社編集局証券部に配属。社会部、静岡支局、政治部などを経て、13年4月から地方部・霞ケ関担当。14年10月、横浜支局キャップ。15年10月から16年9月まで横浜市を担当した。

数センチの差

 「あれ?ずれている?」。日本社会を揺るがす大問題へと発展した「杭打ち不正」の発端は、住民が気付いたわずか数センチの手すりの差だった。 2014年11月、大手デベロッパーが分譲した横浜市都筑区のマンション全4棟のうち1棟で、住民が隣の棟との接続部分に微妙なずれがあることを発見した。「手すりだけの問題だろうか。ひょっとすると、建物全体が傾いているのではないか」 話を聞いて脳裏をよぎったのは、その後「鉄筋切断」が判明する横浜市西区のマンションのことだ。別の大手デベロッパーが分譲したこのマンションでは、当時、すでに杭の施工ミスが発覚。住民トラブルに発展していた。 関係者への取材を慎重に進め、2015年春、都筑区のマンションは棟の両端で2センチの高さの差が生じていることを突き止めた。6月、事業主によるボーリング調査が始まったことで、ぼんやりと向けてきた疑いの目が確信へと変わる。

改ざんの形跡

 2015年夏になって衝撃的な情報がもたらされた。杭の一部が強固な地盤に届いていない可能性が出てきたのだ。9月には杭52本のうち8本が強固な地盤に十分に届いていなかったと判明。さらに施工記録には、問題の8本を含む10本で加筆など改ざんの形跡がはっきりと残されていた。 「明らかな故意。もはや住民と企業の間だけで済まされる話ではない」。ほとんどの人にとって、住まいは一生に1度の大きな買い物となる。特に大手デベロッパーは高いブランド力を誇り、購入者は「安心感」を担保に、マンションを求める。そのような物件で、不正により安全が脅かされ、根底から信頼が揺らいだことは、広く世に問い、ただしていかなければならない問題だ。 2015年10月14日朝刊で「虚偽データで基礎工事 横浜、大型マンション傾く」を特報すると、新聞・テレビ各社は一斉に追随した。日経の報道前は「傾いた1棟のみを補修をすれば資産価値の下落は生じない」と強硬に主張していた事業主は、報道を受け対応を急転。翌15日、全4棟を建て替える方針を表明した。施工記録改ざんはその後、全国でも同様のケースが相次いで発覚し、連日、トップニュースで扱われた。

建て替え要求一蹴

 一方、取材の原点の1つとなった西区のマンションは、こうしたうねりから完全に取り残されていた。西区のマンションではデータ改ざんこそなかったものの、都筑区では1棟だけだった未達杭が、全5棟中4棟で見つかるなど、施工不良の深刻度はより大きかった。 住民側は都筑区のケースを踏まえ、同様に全棟建て替えを視野に入れた補償を再検討するよう要求。しかし、2015年10月末、事業主側は住民に宛てた文書で「(提示済みの補償案で)皆様に納得頂くための最大限の配慮を盛り込んでいる」と一蹴した。 年が明けた2016年2月、事態が動く。度重なる要求を受け、西区のマンションの再調査が始まった。2月中旬、「基礎の強度を保つ鉄筋が23カ所で切断された疑いがある」という内部の調査データを入手。専門家や別の事業主など第三者への取材で「極めて不適切な施工だった可能性が高い」との証言も得て、2月27日朝刊で「建設中、鉄筋一部切断か」と特報した。 翌28日、事業主は方針を転換し、住民に向けて「従来の是正方針を白紙に戻し、全5棟の建て替えを最善策として検討する」と表明。日経電子版でいち早く報じるとともに、29日朝刊で詳報した。マスコミ各社も大きく後を追った。この後、事業主側が必要な強度計算をしないまま、現場の独断で基礎に穴を開けていたことも明らかになった。

真実を見抜く

 取材の原動力となったのは、「報道しなければ真実が闇に葬られる恐れがある」との思いだ。 事業者と住民はそれぞれの思惑で事実を伏せようとした。事業主側は「補修すれば所期性能は取り戻せる」と主張。ブランドを守ることや補修・補償費用をいかに縮減するかを優先し、問題をひた隠しにする姿勢をみせた。住民は自らの住居の欠陥が公となることで、資産価値が大幅に下落することを恐れ、口をつぐんだ。行政当局も当初「民間対民間」の問題であるとして、解決に乗り出すことに二の足を踏んだ。 こうした中、事実関係の把握は困難を極めた。漏れ伝わってくる情報に、それぞれの立場でのバイアスがかかっていることも考慮する必要があった。明らかになっていない問題をあぶり出し、報道するには、何が真実かを冷静に見極める必要がある。万が一のミスも許されない。臆測や希望、矮小化された情報を選別し、事実の断片を積み重ねていった。

報道の役割

 不正工事の背景は、過当競争や多層下請け構造、人材不足、工期厳守の圧力など、建築業界が抱える「闇」だ。都筑区、西区、2つのマンションの問題は、決して特異な例ではなく、どこの現場でも起こり得る。特報後は企業報道部、社会部と協力し、こうした問題点を浮き彫りにしていった。 国土交通省は是正に向け、2016年10月、実質的に工事に関与しない「丸投げ」を排除するための判断基準を明文化した。業界独自でも再発防止策の策定が進んでいる。 「日経が書かなければ、行政からは何もできなかった。記事で世論が大きく動いたからこそ、事業者は襟を正したし、建築業界のルールも改められた」。一連の報道後、行政当局の担当者からかけられた言葉が忘れられない。特報前に比べ、社会はほんの少しかもしれないが、よりよい方向へと舵を切った。新聞にしかできないことがある。それこそが新聞記者のやりがいであり、誇りなのだと思う。

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