歴史・伝統

「電話機」とともに産声

グラハム・ベルが電話機の特許を、エジソンが謄写版の特許をそれぞれ取得した1876年(明治9年)。この年の12月2日に「日本経済新聞」の前身である「中外物価新報」が誕生しました。発行所は東京・兜町の三井物産内。週刊で4ページ建てでのスタートでした。主な内容はコメ、塩などの各種商品相場や貿易概況。1885年の日刊化、1886年の東京・銀座の日報社(東京日日新聞の発行所)への本社移転を経て、1889年に題号を「中外商業新報」に改めました。商品相場や貿易概況だけにとどまらず、政治や社会など幅広いテーマを扱う「総合紙」への脱皮を図ったのです。「経済を中心とするリーディングメディア」としての最初の礎と言えるでしょう。

自由を掲げて120年余

「中外商業新報」としての第1号である1889年1月27日の1面トップ記事は木村清四郎主幹兼社長の「改題の趣意」との論説でした。この中で木村は「わが社の眼中には極端な論者が唱えるような保護主義や自由主義はない。干渉・保護の政策は国家にとって弊害が多く、自由放任主義は一般国民の幸福と利益を増大させるのに役立つと信じる」と断言。さらに「実業社会の繁栄を増進することが我々の目的であり、この目的にあったものをますます促進する一方、目的に合わないものを容認する必要はない。公平な議論を通じて、実業上の改良・進歩を図るべきだ」との論を展開しています。それから120年余りたった現在、木村が掲げた目標は色あせていません。紙の新聞と電子版を併せて300万人を超える読者を抱え、NIKKEIとしてグローバル展開に踏み出した21世紀になっても、民主主義を尊び、市場を重んじる我々日経の大方針として脈々と引き継がれているのです。