第1回 馬に個性、難しい調教
管理していたシンボリクリスエスが、2年連続のJRA年度代表馬に選出された。表彰式は1月26日だったが、馬は一足早く北海道に渡り、種牡馬という次の大事な仕事に備えている。無事に牧場に帰すことができてホッとしている。応援していただいたファンの皆さんに感謝したい。
初めて米国でこの馬を見たのは生まれた1999年の夏だった。当時から大きくて色も黒く、見栄えはした。だが、決して人気のある血統ではなく、「動きが緩慢かもしれない」と心配もした。見方が変わったのは、デビュー戦(2001年10月)の1600メートルの新馬戦を勝った時で、「思った以上にスピードがあるな」と気付かされた。
それから2年余り、きゅう舎にいたのだが、何がありがたいといって、故障をしなかったことが1番だった。デビュー戦の後は、肩や腰の関節を痛がる時期があり、少し休ませたが、翌年の春からは見違えるほど丈夫になり、強めの調教でも平気でこなすようになった。「もしかしたら、ダービーを勝てるかも」と思ったほどだった(結果は2着)。
調教師というのは、レースが近づけば近づくほど不安になる。例えば、G1を勝つには、そのレベルの調教をする必要がある。だが、頭で描いた通りの調教ができる馬は驚くほど少ない。小さな問題が生じては、前の日のプランを変更するのは日常茶飯事だ。
動きが悪いと不安になる。「ちゃんとやらなければ勝てない。でも、今、そんな調教をしたら、現役寿命が長続きしない」。過激に調教したい気持ちを、必死で我慢する日々だ。その意味で、大体はいつも思い通りの調教ができたシンボリクリスエスは珍しい例だったと思う。
「外国産馬は早熟」とよく言われる。シンボリクリスエスも、2歳の時から完成度は高かった。だが、扱う側が早熟という先入観にとらわれて、調教をきつくしたりレースで使い過ぎて、外国産馬の将来性を損なったことも多かったのではないか。馬は1頭1頭、異なる個性を持っている。固定観念にとらわれていては、ひどい目に遭う。
同じ方法で何度か成功したからといって、ワンパターンに陥るのも禁物だ。有馬記念直前の調教は、私のきゅう舎としてはかなり強いもので、その結果、9馬身の差で勝てた。だが、調教を強くしたから良かったのか、本当のところはわからない。
あの馬は1頭しかいない。うまく行けば行くほど、逆に心配になる。「決めつけ」をすることなく、馬の変化に目を凝らし、場面場面でベストを尽くすしかない。
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藤沢 和雄(ふじさわ・かずお) 1951年9月、北海道生まれ。52歳。88年3月開業。93年に初の全国最多勝。95年から9年連続全国最多勝を継続中。98年にタイキシャトルで仏GT制覇。シンボリクリスエスは一昨年から2年連続で年度代表馬に選出された。[2004年02月03日/日本経済新聞 朝刊]
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