(7/19)狂乱のマネーゲーム 第9回セレクトセールから
一瞬、鑑定台の下にいるのが、生後5カ月の牝馬であることを忘れてしまった。見ていて現実感覚を失うような10分間。どよめきはやがて奇妙な静寂に変わり、電光掲示板に「60000」の数字が映し出されると、しばらくしてハンマーが落ちた。11日のセレクトセール(日本競走馬協会主催)第2日。当歳の70番目に登場した「トゥザヴィクトリーの2006」(父キングカメハメハ)の争奪戦は、当歳世界最高の6億円(税抜き、以下同)で決着した。アラブ首長国連邦・ドバイのシェーク・ムハンマド殿下系列の「ダーレー・ジャパン」に競り勝ったのは「グローブエクワインマネージメント」(以下GEM)。藤沢和雄厩舎のレーシングマネジャー、多田信尊氏の仲介業者であり、氏名を明かしていない馬主の代理購買だった。
創設9年目のセレクトセール。本来なら、8年ぶりに復活した1歳馬部門が注目を集めるはずだった。6億円の一撃は、3日間の様々な出来事の印象を遠くに追いやった感がある。3日間の売却総額は117億5450万円。一昨年の国内軽種馬産業の産出額は約385億円(農水省調べ)だから、産業全体の1年の水揚げのざっと3割を、3日間でたたき出したわけだ。吉田照哉・日本競走馬協会会長代行は「“素晴らしい”を通り越して、“恐るべき”市場だった」と評した。飛び交った数字は確かに、terribleの表現がふさわしい。
〔人が主役の大相場〕
6億円馬の争奪戦には、当初は父母の馬主だった金子真人氏や、復帰した関口房朗氏も加わっていた。だが、4億円台に突入すると、さすがに2人とも撤退。ダーレー・ジャパン(以下DJ)とGEMだけが残った。DJ系列のダーレー・ジャパン・ファームは今夏、JRAの馬主登録を申請していたが、4―5日にかけての審査で却下されていた。ムハンマド殿下は今回の結果に強い不快感を示す一方で、JRA参入への意欲は全く変わらないといい、不退転の決意を示す意味で、今回のセリでも1億円レースに次々に参戦した。多田氏も落札後、「(依頼者に)『絶対に降りてくれるな』と言われていた」。互いに引けない同士だった。
結果は2000年セレクトセールで後のアドマイヤグルーヴについた2億3000万円の約2.6倍。アドマイヤグルーヴはこの市場では第一級の成功を収めたが、生涯獲得賞金は5億5133万5000円。しかも、父サンデーサイレンス、母エアグルーヴ。国内にこれ以上の血統馬はいなかった。キングカメハメハは初年度産駒が今年誕生。昨年の種付け料は600万円だった。一昨年、父ダンスインザダーク、母エアグルーヴの牡馬が種付け料に70倍の4億9000万円がついた。これでも十分にクレージーだが、今回は牡の3―5割が相場の牝馬に、種付け料の100倍。いかに常軌を逸した額かがわかる。6億円を筆頭に、DJの落札したクロフネの全弟が3億円。1億円の大台に乗った馬が当歳だけで11頭と過去最多。サンデーサイレンス最後の産駒がいた03年は9頭、ディープインパクト(7000万円)の年は7頭である。サンデーの威光を知る人にすれば、奇異に映るだろう。
結局、サンデーを失ってから4回にわたって、この市場を支えてきたのは新たな顧客だった。昨年、父シンボリクリスエス、母マストビーラヴドの牡馬を2億1000万円で落としたのは、会計ソフト大手「オービック」に連なるダノックスだった。今回、1億円以上の高額馬を落札したのは、多田氏とGEM名義で5頭、DJが2頭、昨年は不参加だった関口氏が4頭、あとは金子氏、近藤利一氏、青山洋一氏が1頭ずつ。関口氏の復帰に加え、ここ2年は1億円レースを見送っていた金子氏も参戦するなど、新旧の大手オーナーが集結したことで、1日の会期延長も消化して、大相場を現出した。
〔物色に方向感なく〕
当歳の1億円馬を見ると、キングカメハメハ産駒が3頭で最も多いが、それ以外はフサイチペガサス産駒が2頭いるだけであとは1頭ずつ。確かに、今年の3歳戦は、「何を買うべきか」の指針が消えた状況を物語る。馬を買って金銭的に成功するのは、宝くじで高額当選金に当たるようなものだが、サンデー時代には、統計的に有為な「確率の高い売り場」があった。だが、今年のクラシック勝ち馬はすべて日高産。とは言え、日高には売り場が数多く散在していて、確率も社台系に劣る。結局、購入の網を社台系、特にノーザンファーム生産馬全般に広げざるを得ない。
サンデーのような絶対的存在を別にすれば、買い手は概して新しもの好きである。今春はフジキセキ産駒が活躍したが、当歳のフジキセキ産駒は平均価格こそ約3614万円と堅調だった半面、14頭中7頭が未売却。ダンスインザダーク産駒も24頭中18頭が売れたが、平均価格は約3169万円。答えの出ていないキングカメハメハは、43頭中31頭が売れて平均価格約5629万円。6億円の一撃を除いても、約3817万円。ネオユニヴァース(17頭中13頭売却、平均価格約3892万円)と並ぶ人気ぶりだった。数年前からこの市場を“素人相場”と呼ぶ声が聞かれ始めたが、サンデーの穴を新規顧客の資金力がヘッジする流れは、この傾向を増幅している。中堅クラスの馬も連れ高となり、この層を物色する買い手に疲弊の影が忍び寄っている。
〔復活した1歳部門 日高勢苦戦の背景〕
当歳部門の活況の影に隠れた感もあるが、1歳馬部門では社台系と日高勢の明暗が分かれた。セリ全体を通して、社台系5名義で未売却はわずか3頭。1歳部門では74頭中2頭が未売却で、売却率は97.3%だった。対する日高勢は91頭中54頭が売れず、売却率40.6%にとどまった。昨年の場合、社台はあわやパーフェクトだったが、日高勢も売却率67.6%と健闘した。だが、1年以上前に1歳部門復活が打ち出された後、社台系は米国のスリーチムニーズ、テイラーメイドと言った有力牧場に従業員を派遣し、見栄えの良い歩かせ方を研修させるなど、周到な準備を進めていた。もちろん、昨年の当歳部門に出すような持ち駒を、意識して残していた。最初から持ち駒が限られている上、ソフト面の準備も遅れた日高勢との差は、ある程度やむを得ない。
また、1歳部門では牧場のブランドが物を言う側面もある。当歳と2歳の調教セールはデジタルな性格が強い。当歳は血統という記号が頼り。2歳なら調教タイムという有無を言わさぬ数字が出て来る。「タイムを追求しない」はずのJRAブリーズアップセールでも、昨年の1番時計を出したダイワパッションは重賞2勝で出世頭となり、今年の1番時計(400メートル22秒5)のエイシンイッテンも、京都で早々と勝ち星をあげた。1歳の場合、こうした指標がなく、「見栄え」という頼りない材料だけでは、馬は買いづらい。だが、社台系のブランドは買い手に安心感を与えるのだろう。極端な差が出たのはクロフネ産駒で、上場11頭中、社台系4頭に買い手がついたが、他の7頭は未売却。ブランドの威力極まれりだ。1歳となれば、秋には本格的な育成・調教が始まる。吉田会長代行は、「(社台系の)馬は、売れても来年までここにいる。面倒見の良さも評価されたのだろう」と話す。育成技術込みの価格ということか。
〔ポストサンデーの決算〕
今年の2歳戦は、掛け値なしのポストサンデー時代の始まりである。04年セレクトセールでは、ダンスインザダーク産駒に途方のない値がついた。だが、現3歳世代を見る限り、競馬場でのダンスインザダークは“押し出された人気馬”であり、「同輩者中の首席」の座も安泰とは言い難い。現2歳世代以降の高馬は、セリ場と競馬場では立ち位置が違うと考える方がロジカルである。値段なりの結果を出されれば脱帽するしかないが、期待外れだった場合、来年以降のセリの空気は変わるだろうか? 馬を買うのは虚栄心の表れであり、外野が費用対効果などとヤボなことを口にするのは余計なお世話かも知れない。ただ、日本の競馬界が、馬を持って本当に楽しい場かどうかは甚だ疑問である。この点も含めて、大相場の真価が問い直される時は確実に迫っている。
◇主な種牡馬別の売却率と平均購買価格
|
売却率 |
価格計 |
平均 |
| 【当歳】 |
| キングカメハメハ |
11/15 |
73.3 |
1745000 |
56290 |
| フレンチデピュティ |
10/11 |
90.9 |
522000 |
52200 |
| クロフネ |
10/14 |
71.4 |
411000 |
41100 |
| スペシャルウィーク |
8/15 |
53.3 |
320500 |
40063 |
| ネオユニヴァース |
13/17 |
76.5 |
506000 |
38293 |
| アグネスタキオン |
11/15 |
73.3 |
403500 |
36682 |
| フジキセキ |
7/14 |
50 |
253000 |
36143 |
| ダンスインザダーク |
18/24 |
75 |
570500 |
31694 |
| シンボリクリスエス |
15/26 |
57.7 |
429000 |
28600 |
| ワイルドラッシュ |
8/10 |
80 |
191500 |
23938 |
| 【1歳】 |
| アグネスタキオン |
7/9 |
77.8 |
350000 |
50000 |
| クロフネ |
4/11 |
36.4 |
189000 |
47250 |
| シンボリクリスエス |
12/16 |
75 |
378000 |
31500 |
| ダンスインザダーク |
6/12 |
50 |
180500 |
30083 |
| サクラバクシンオー |
8/11 |
72.7 |
221500 |
27688 |
| フジキセキ |
7/8 |
87.5 |
164500 |
23500 |
| SOB |
7/7 |
100 |
136000 |
19429 |
(単位千円。GEM=グローブエクワインマネージメント、DJ=ダーレー・ジャパン、SOB=スウェプトオーヴァーボード)
◇1億円以上の高額馬
| 母馬名 |
価格 |
落札者 |
父馬名 |
| 【1歳】 |
| ヴェイルオブアヴァロン |
2.05 |
多田信尊 |
Pivotal |
| シルクプリマドンナ |
1.2 |
関口房朗 |
ダンスインザダーク |
| リアリーライジング |
1 |
関口房朗 |
ダンスインザダーク |
| 【当歳】 |
| トゥザヴィクトリー |
6 |
GEM |
キングカメハメハ |
| ブルーアヴェニュー |
3 |
DJ |
フレンチデピュティ |
| ローザロバータ |
1.62 |
近藤利一 |
キングカメハメハ |
| ガゼルロワイヤル |
1.52 |
多田信尊 |
アグネスタキオン |
| マストビーラヴド |
1.4 |
DJ |
SOB |
| ファンジカ |
1.2 |
関口房朗 |
ネオユニヴァース |
| ブロードアピール |
1.12 |
金子真人 |
HDキングカメハメハ |
| スキーパラダイス |
1.04 |
GEM |
タイキシャトル |
| ディヴォーステスティモニー |
1 |
関口房朗 |
FusaichiPegasus |
| スーア |
1 |
GEM |
シンボリクリスエス |
| ファーストナイト |
1 |
青山洋一 |
FusaichiPegasus |
(売却率は%、単位は億円)
|