(2/13)"馬房返上"は何を映すか
2月11日の東京競馬で、注目すべき現象があった。第8競走(4歳上500万条件、芝1600メートル)の出走馬16頭中、13頭が2カ月以上の休養明けだったのである。500万条件の出走馬決定方法は、2004年10月から改定され、原則として(1)前4節以内にJRAの平地競走で3着以内入着(2)地方、海外から転入した際の初戦(3)出走間隔の長い馬――という優先順位となっている。問題のレースには20頭の出馬投票があり、(1)に該当する馬が3頭。残る17頭は出走間隔が長い順に拾われ、前回が昨年の12月第1週までの11頭は無条件でセーフ。だが、第2週以来の出走となる馬が3頭いて、抽選の結果オイワケウコンが除外。シルキーオメガ、レキシントンルビーが入った。
この優先順位は、未勝利でもほぼ同じ形で適用されている。一時の除外ラッシュに対応して、“計画的出走”を促す狙いでJRAが取り入れた。季節的な要素で変動はあるが、未勝利も500万条件もほぼ、タイムオーバーや「3走9着以下」といった出走制限の対象とならない限り、間隔を4週開ければ出走できるのが通常だった。ところが、1―2月の関東はローカル開催がない上、今年は05年末との間隔が2週近くあり、年明けに出走態勢の馬が増えて、週を追うごとに積み残しが増えた。しかも、東京で500万条件の芝の競走は毎週1つだけの狭き門。これらが重なっての珍現象となった。
もともと、関東の古馬500万条件は、在籍馬・在厩馬の数と競走数がミスマッチになっている。今年1月23日現在、美浦の3歳未勝利と4歳500万条件の在厩頭数は604頭で全く同じ。ところが、1回東京の未勝利は29競走に対し、古馬500万は12競走しかない。小倉では古馬500万が47競走(うち芝23)組まれているが、輸送距離の長さを嫌って、美浦の厩舎は小倉にはあまり行かない。結局、芝とダートの短距離に馬が集中し、前回入着馬以外は2カ月待ちとなる。こうした事態は、馬主にとって文字通りの消耗戦である。中央競馬の月々の預託料は、2戦分の出走手当にほぼ相当する。月2戦で、最低限の“自転車操業”は可能だが、出走間隔が長ければ長いほど、馬主の持ち出しは多くなる。レース数増加は馬主団体の積年の要求だが、競馬法には年間3456競走の上限があり、費用対効果の悪さから、JRAも増やす意思は全くない。出口のない状況の中、ギミーシェルターなどを所有する馬主の池谷誠一氏は、自身のブログで2月、「関東の調教師は馬を預かり過ぎ」と問題提起した。
一般に、調教師が1頭でも多く預託を受けようとするのは、当然の営業努力である。だが、JRAの調教師が置かれた状況を考えると、話はそう単純でない。「馬房を埋めなくては」という強迫観念で馬を集めているのでは。そう疑いたくなる例が少なくない。例えば、南関東で中級クラスの高齢馬が美浦の下位厩舎に移籍し、1600万条件に編入される場合である。ある程度の経験を積んだファンなら、走る前から「通用しない」と見通せる馬を、プロのはずの調教師が移籍させる。ほとんどは2ケタ着順を数回続けて障害入り。練習で資質がなければ消えていく。また、JRAの未勝利で苦戦していた馬が、地方の小規模場で勝って戻る。無論、ほとんどは苦戦続きだが、こうした馬が500万条件の在籍頭数を押し上げている。
勝ち目のない馬でも預からざるを得ない背後には、メリット制の重圧がある。美浦、栗東の両トレセンで成績上位厩舎の定期貸し付け馬房数を増やし、下位の馬房を減らすシステムは、今年3月で馬房の増減が3度目を迎える。メリット制の査定項目には、1馬房当たりの勝利数、獲得賞金のほか、出走回数や出走実頭数(多くの馬を走らせた方がポイントが高い)も含まれる。勝敗に絡むのはハードルが高いが、取りあえず出すだけなら、というわけだ。一方で、メリット制に先立って、01年からは各厩舎の預託頭数制限が緩和された。上限が馬房数の3倍に増えたことで、有力厩舎に馬が集まる傾向が強まり、不成績の厩舎は馬集めが難しくなっていた。馬房が空くことは、通常は2頭を担当する厩務員の一部が、0―1頭となることを意味する。厩務員の給与は、各馬の預託料に含まれるが、仮に空き馬房となれば、1―2頭分の給与が入って来なくなる。
信じ難い話だが、従来は馬房が空いた分の人件費は、他の在厩馬の馬主が均等割りで補てんしていた。調教師は全くリスクがなかったが、さすがにこんなことが続くはずもなく、一昨年秋から慣行は廃止。空き馬房分の人件費は調教師負担となった。こうなると、調教師側の選択肢は2つ。必死で馬を集めるか、馬房を返上するしかない。多くの調教師は前者を選ぶが、ここで問題となるのが東西格差。好資質馬を集めたくても、美浦の成績不振の厩舎には無理な相談である。勢い、下級条件の馬ばかり増え、ローカル開催のない冬場は出走機会が回らず、消耗戦が展開される。ただ、いかに調教師が馬を集めたくても、馬主が買わなければ事は動かない。第三者的な立場で見ていると、「こんな馬がなぜ、よりによって中央に…」と不思議に思うことが少なくない。過剰生産の揚げ句、生産者が捨て値で放出した馬でも、月額約60万円の預託料負担は同じである。地方の小規模場では、在籍馬の相当な比率が実は調教師の持ち馬と言われる。まさか中央で同じことが起きているはずはないが…。
強迫観念に駆られて馬を集めるのに比べれば、馬房返上の方がはるかに合理的である。自分の営業力に見合った経営規模を設定するのは当然のことだが、従来はJRAも日本調教師会も、貸し付け馬房を「ノーリスクの経営資源」と見る考え方に捕らわれていた。メリット制の導入は、1990年代半ばから議論が続いた“10年仕事”だったが、この間、調教師会側は一貫して「開業から5年で20馬房」という定年制協定(91年)の完全実施にこだわった。昨年のJRAで、調教師が得た進上金の総額は80億8713万円。地方・海外勢が得たのはわずか1.1%で、1馬房当たりの獲得額は1828万円に上る。こんな経営資源を自分から手放す人はいるはずがない――。すべての制度設計が、この前提に立っている。メリット制も、誰も手放さないことを前提に、下位組から召し上げた馬房を上位者へのインセンティブの原資とした。だが、人件費問題はこの前提を崩した。
馬房返上の動きは、04年に佐藤征助・元調教師が、「健康上の理由」で自主廃業したのが事実上の始まりだった。昨年は定年を間近に控えた古賀一隆調教師が18馬房中6馬房を返上した。JRAの建前は「馬房は調教師の申請で貸している。年度途中で返上されては困る」。ただ、裏を返せば「事後処理しやすい形なら構わない」。むしろ、混乱したのは調教師会である。「全員に20馬房を」という長年の主張を根底から崩す動きに、顔をしかめたのは言うまでもない。だが、既にアリの一穴はうがたれた。馬房返上は従業員の移動を伴うため、JRAも「3月の免許更新前に、きちんと申告して下さい」という方針に転換。今後は自主返上がさらに増えそうだ。
今年はメリット制の運用見直しの年でもある。馬房返上の流れを踏まえれば、成績下位者の自主的縮小・撤退を後押しし、活用されていない馬房を確保すべきだろう。これを原資に、成績上位者に加増する上限を30馬房前後に拡大し、自己申告制にする。原資が不足したら、成績に応じて査定すれば良い。加えて、今年の美浦の新規開業者2人は、いきなり20馬房でスタートする。これは相当に無理な話で、今後は新規開業者の馬房数も申告制を取るべきだろう。
経営能力のない調教師にも20馬房を抱えさせてきた従来のやり方は、調教師会という組織の論理のために、個人を犠牲にする残酷な話だった。これと同じことが、厩務員の領域にもある。20代の若者と定年間近で体力の落ちた60代が同じ2頭持ちというのも、残酷な話である。厩務員の勤務形態も担当馬のいない形や1―3頭持ち、美浦での持ち乗り助手の解禁も含め、より多様化する必要がある。勤務形態に応じた合理的な給与体系を設定すれば、各厩舎もより柔軟に、経営方針を立てられるだろう。横並びを捨てることで、今より楽になれる人は、どこの領域にも少なからず存在している。
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