(9/26)3期目に入った高橋体制
JRAの理事長任期は1期3年である。過去、2期6年を勤め上げたのは、6代目の大沢融氏(1972年6月29日―78年6月24日)ただ1人だったが、その記録が破られた。現職の高橋政行理事長(13代目、99年9月12日―)が、12日に再任、正確には再々任され、史上初めて7年目に突入した。JRAに限らず特殊法人役員は、1団体の在職期間を最大8年とする閣議決定がある。当コラムでは以前にも、この決定がJRA生え抜き(プロパー)の理事長就任の制度上の障壁になっていることを指摘した。決定に従えば、高橋氏の任期は最大あと2年。締めくくりの時期に来たことは間違いない。
異例の3期目入りとなった最大の理由は、特殊法人改革問題が間もなく、重要な時期を迎えるためである。橋本龍太郎首相の時代に始まった一連の行政改革で、公営競技関係5団体の組織形態については、「2006年3月までに結論を得る」との閣議決定が、01年3月になされている。しかし、現時点でもこの問題についての議論は進んでいるとは言い難い。現時点で議論の場となっている行政改革推進事務局「参与会議」は、10月3日に公営競技関係団体を議題とした会合を行う予定で、あと1回程度の議事を経て、政府・与党の協議がようやく本格化すると見られる。JRAという組織にあって、政官界の意向が絡む問題の扱いは、主に農水省出身役員の領分とされていた。01年の閣議決定段階から、この問題の流れを熟知している高橋氏の交代は、JRAプロパーの望むところでもなかった。
一口に6年を勤め上げたと言っても、大沢氏が在職していた72―78年は、ハイセイコーやTTGが出現して競馬人気の向上に大きく貢献していた時期であり、JRA(まだこの略称は使われていなかったが)は競馬を社会に認知してもらうために奔走していた。一方で、場外や電話投票と言ったオフトラック化が「混雑緩和」のために緒に就いた時期でもある。高橋氏の時代はと言えば、在任中、ずっと売り上げの減少が続き、2期を通じて経費節減に追われる状況が続いている。また、特に2期目の3年間は、公営競技全体の退潮の渦にのまれた地方競馬の扱いというテーマが、JRAにとっても対岸の火事ではなくなり、ある面では不本意な対応を迫られた。
高橋氏の2期6年への評価を下すのは、現時点では時期尚早であろう。ただ、あえて特徴を集約すれば、JRAにとって、内向きにも外向きにもストレスのたまる6年だった。まず、外向きの問題を振り返ってみよう。大分・中津をきっかけに地方競馬廃止ドミノが始まったのが01年。同年8月には農水省生産局長の私的懇談会「地方競馬のあり方にかかる研究会」が設置された。同研究会で様々な議論を呼んだ登録・免許機関の一元化問題は、今日も続くJRAと農水省の神経戦の皮切りとなった。農水省にあって競馬を所管する競馬監督課は、中央斑、地方斑に仕切られている。全省的な立場からも、地方競馬全国協会(NAR)の切り捨ては容易でない。こうしたお家の事情を抱える農水省が、地方救済の奉加帳を回す先は、JRAをおいて存在しない。しかも、一部の地方主催者や競走馬生産界は動きを後押しするため、政治力の動員に走った。リストラの末にひねり出した剰余金の少なからぬ部分が、地方救済に投じられる状況は、組織全体のストレスを高めたことは言うまでもない。
外圧に起因するストレスはまだあった。1期目満了間際の02年度は、政府予算の歳入不足を補うために50億円の特別国庫納付金を納めさせられた。80年代にも同様のケースは2度あったが、当時は実際の売り上げが予算を上回るのが常態で、JRAの懐をさほど痛めず、国の無体な要求に答える体力もあった。だが、02年度のケースでは、特別積立金(貯金)を取り崩して対応した。また、特殊法人の役員報酬一律カットの際は、高橋理事長自身が強く抵抗した。JRAは独立採算制で赤字を回避しており、自主的に引き下げに取り組んでいた。しかも、JRA役員の2/3はプロパーで、役員給与のみを削減すると、一般職員との逆転現象が生じる可能性があった。こうした事情から、他の特殊法人と横並びの扱いは妥当と言えなかったが、高橋氏の抵抗は当時の与党幹部の怒りを買い、農水大臣の私的懇談会「我が国の競馬のあり方に係る有識者懇談会」の議論の流れにも影響した。同懇談会は、01年研究会の報告をより広い視点から再検討する建前だったが、生煮えの民営化論が浮上したために、競馬とのかかわりの薄い委員が多く選定されることになり、業界に関する基礎知識の共有化に無用の時間を費やす結果となった。
結局、改正競馬法は04年6月に成立を見たが、地方競馬と生産界の救済のため、JRAは最大の場合100億円規模となる拠出を強いられた。しかも、拠出先は特殊法人改革で最大の論点となるはずのNARである。通常の感覚なら、存廃が議論されるべき団体にカネを積むこと自体、延命策といううがった見方をされかねない。しかも、前回の当コラムで触れた通り、地方救済のための連携事業は、立案者側の当初の想定とは似ても似つかぬ運用がされている。生産者救済策も事情は50歩百歩。ストレスの材料には事欠かない。
内にあってはリストラの6年だった。売り上げはピークの97年に4兆円を超えたが、その後の4年は、平均で年率5%の低下ペースが続き、91年に2000億円を超えていた剰余金は、01年には300億円を切った。こうした中、2000年には5年計画で経費削減を図る「トータルコストダウン」が始まり、関係者の抵抗で削減が難しいとされた競走事業費(賞金・諸手当)についても、02年度予算で前年比10.5%(約1562億円→約1399億円)カット。その後も減額基調は続いている。こうした流れは、馬券が売れすぎて肥大化した経費構造を見直すというポジティブな面がある反面、事業体としての目標をどこに置くかという難問をあぶり出した。この時期、営業経費と言える広告・宣伝費も抑制され、新たな場外発売所の開発も04年まで凍結された。一連の策は必然の流れとも言えたが、一般企業では、リストラは収益部門への経営資源の集中と並行して行われることが多い。冗費圧縮は当然として、「JRAは何に投資すべきか」というテーマへの回答がないまま、リストラ優先の5年が経過した。
国はJRAに、規模と収益性のどちらを優先すべきか、明確に示していない。「国庫納付金の最大化」のため、ある程度は収益性を犠牲することを求める反面、ひとたび赤字を出せば黙っていないだろう。売り上げ成長期は表面化しなかったテーマが浮上したのが、高橋氏の6年だった。理事長とプロパーの関係も微妙に変化した。簡単に言えば、従来の「理事長=行政官」と「プロパー=競馬専門家」のすみ分けが揺らいだことか。7年連続売り上げ減という未曽有の状況下では、専門家のはずのプロパー側はいや応なく、従来の運営方法の見直しを迫られ、自信喪失気味となる。一方、在任期間が伸びれば、理事長も業界の内情に通じてくる。2つの事情が重なり、かつてない「強いトップ」が率いる体制が生まれている。
だが、今年の年間売り上げも前年比1%台後半の減少で推移している。JRAは現状を「下げ止まり」と捕らえ、来年以降を反転攻勢の時期にしたい意向が見え隠れしている。来年12月のG1新設プランが8月に一部で報じられた。この案は内部でも賛否半ばという状況だが、縮み指向が続いた過去数年には見えなかった動きではある。ただ、G1増設も新種馬券も反攻の起爆剤たり得なかったこの10年の流れを見ても、ファン離れに歯止めをかける決定打はない。肥大化した経費構造を見直し、リストラに道はつけたが、「組織としての目標をどこに置き、苦しい時に何をするか」という、競馬の持続可能性を左右するテーマの重さ、難しさがあぶり出された。
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