(12/6)曲がり角のジャパンC
「カズ、俺はお前の国が大好きだよ」――。
発言の主は英国の名伯楽、「サー」マイケル・スタウト調教師。「カズ」とは藤沢和雄調教師である。スタウト調教師はジャパンCと縁が深い。1996年のシングスピール、翌97年のピルサドスキーと連覇を飾った。20代の4年間を英国で過ごした藤沢調教師は、スタウト調教師とは旧知の間柄。両年とも、当時の看板馬だったバブルガムフェローを出走させたが、13着、3着に敗れている。冒頭の発言があったのは97年か。藤沢調教師の著書「競走馬私論」(クレスト出版)に、この辺の事情は詳しいが、当時のジャパンCは、日本のトップトレーナーに「世界の壁」の厚さを感じさせていたのだ。
それから7年。24回目を迎えた今年のジャパンCは、藤沢調教師の管理するゼンノロブロイが3馬身差で圧勝した。レース後の会見では「いつも『日本はいい国』と思われていたので、勝てて良かった」。あのシンボリクリスエスが2年続けて逃したタイトル。喜んでいないはずはないが、どこか抑えた口調を見て、つい憶測したくなった。この人は「もっと倒しがいのある相手はいないのか」と思っているのでは…。2着を争っていたのは日本の3歳馬。およそ、「世界の壁」を破った実感とは程遠いに違いない。
ジャパンCの外国招待馬の質は、日本馬が上位3頭を独占した98年を境に、年々落ちている実感がある。それでも、99年のモンジュー、2000年のファンタスティックライトあたりまでは「最悪でも目玉1頭」を確保できていた。2002年には伏兵のファルブラヴ、サラファンが1、2着を占めた。だが、東京で施行された2001年と昨年は、外国招待馬が着順掲示板から締め出された。今年も14番人気と前評判の低かったポリシーメイカーが4着に健闘したが、格上と思われたパワーズコートは10着、ウォーサンは15着と大敗した。かつては人気で惨敗する遠征馬の多さに、「本気でない関係者が多い」という批判が集まった。しかし、ホームの利がある日本馬の優位が固まった近年。外国勢がレース創設当初のような物見遊山気分で来ているとも思えない。「足りない」馬が来たと考えるほかない。
今年の特殊事情を挙げると、まず欧州、北米とも2400メートル路線が全体に低調だった。欧州は上半期に活躍した3歳馬が好調を維持できず、凱旋門賞はクラシックを全休したバゴが優勝。凱旋門賞の上位陣でブリーダーズC(テキサス州ローンスターパーク)に転戦したのは3着のウィジャボード(フィリー&メアターフ優勝)だけで、例によって大半は休みに入った。BCの方もターフはわずか8頭立てで、勝ったのは伏兵のメリーランド州調教馬ベタートークナウ。結局、ジャパンCは5年ぶりに北米からの招待馬が不在だった。
それにしても、招待馬5頭は過去最少である。96―98年が6頭ずつだったが、当時はまだ目玉がいた。「招待馬の質が低ければ、ジャパンCの存在意義はない」。JRAの番組担当者は言い切る。3連勝すれば最大2億円のボーナスが出る「天皇賞・秋→ジャパンC→有馬記念」の連戦は、「コンセプトの似たレースの連続」と言える。特に、ジャパンCと有馬記念はコースこそ違え、距離の差は100メートル。2006年以降は有馬記念も外国調教馬に開放される。ジャパンCのアイデンティティーは「招待レース」の一点となる。今年はJRA創立50周年で、ジャパンCとジャパンCダートの同日同場開催という新趣向もあり、例年以上に招待馬の質が問われる年だった。
東京には12万人近い観衆が集まり、2日間の東京と京都の売り上げを見ても、新趣向自体は成功だろう。というより、「同日同場」効果で、外国馬の質の問題を覆い隠したというべきか。だが、馬の勧誘に関する限り、成功とは言い難い。なぜこうなったか? 後述する営業力や検疫の問題もあるが、指摘したいのは生産との関連である。少なくとも96年まで、ジャパンCは「種牡馬の展示会」だった。数え漏れもあり得るが、筆者が調べた限り、ジャパンCに出走して日本で種牡馬となった馬は27頭で、うち21頭は86―94年に集中している。第1号は86年2着のアレミロード。88年5着のトニービンは最大の成功例。バブル最盛期の89年にはアサティス、キャロルハウスなど4頭。93年も2着コタシャーン以下、スターオブコジーン、ミシル、ホワイトマズルと並ぶ。だが、エリシオとペンタイアの96年が転換点だった。97年優勝のピルサドスキー、98年4着のチーフベアハートはJRAの購入。民間が買ったのは99年3着のハイライズと、一昨年の優勝馬ファルブラヴの2頭にとどまる。
輸入馬の中には、出走時に買われていたトニービンやキャロルハウスのような例もあれば、ファルブラヴのように勝った後で社台グループが購入し、服色を変えて走ったケースもある。輸入した馬の“顔見せ興行”はともかく、日本の生産者に売り込む狙いで出走した例もあったはず。だが、今の日本で高額の種牡馬を購入できるのは社台グループのみで、日高単独では無理。しかも、社台も以前のような勢いで種牡馬を買わなくなり、近年はサンデーサイレンスの第2世代の種牡馬を前面に押し出している。残るはJRAの購入という「裏技」だが、近年のJRAの種牡馬購入は生産界の意向を反映して、米国指向に傾いている。ここ4年で、欧州調教馬は昨年のアラムシャーだけで、あとはカリズマティック、キャプテンスティーヴ、シルヴァーチャームと米国の活躍馬が占める。
こうなると、レース自体の吸引力の勝負になってくる。日本と最も競合が厳しい香港国際競走は、以下の点が強みだ。(1)英語が通じる(2)畜産国でなく、検疫の負担が小さい(3)香港Cは2000メートルで、世界の競馬界の2000メートル指向に沿っている(4)4つの国際G1を擁し、複数の馬を遠征させやすい――。香港やBC、ドバイW杯は、ジャパンCと比べても後発で、その分、馬の集まりやすい条件設定という点で有利だ。こうした環境下、2400メートルに馬を集めるのは容易でない。
金銭の絡まない部分での配慮も重要になってくる。11月25日の歓迎夕食会で、JRAの高橋政行理事長は通訳を挟んで30分近い大演説をぶった。違法ネット賭事の規制問題など、遠来の馬主やきゅう舎関係者に聞かせるべき話だったか、極めて疑問だ。聞いた人が「また日本に来たい」と思うだろうか? 理事長自身が英語で話す設定なら、もっと短かくて済んだはず。母国語以外で15分スピーチするのは、相当な重労働である。小さなことが「営業力」を損ねる。
「営業」に関しては、考え方を整理する必要がある。以前は「アゴアシ接待」が批判の的になったが、これは登録料が1万円の時代だった。リスクなしに出走できるから、ファンも「物見遊山」ではないかと疑念を抱くのだ。日本馬の実力もついた今、外国の関係者も「楽に勝てない」のは承知の上。コストをかけてビッグネームを呼んでも、馬券の売り上げが伸びれば有意義な投資になる。その代わりに、登録料は競馬法の上限の200万円程度にしてはどうか。香港もドバイW杯も、関係者に対するホスピタリティーの質は今や、日本をはるかにしのぐが、登録料もその分、高く設定されている。ダートは米国に絞ってもよいと思う。今回のオミクロンとヴォルテクスの醜態を見ても、欧州馬で員数合わせをする必要は全くない。
ジャパンC翌日の11月29日、東京大学農学部でJRA競走馬総合研究所主催の公開シンポジウムが開かれた。興味深かったのは、1人の報告者が紹介した83年、84年のデータである。レースや追い切りの後のクールダウンにかける時間が、日本馬は圧倒的に短かったのだ。83年の場合、追い切り後は「外国馬48分、日本馬15分」。84年はレース後の数字で「外国馬47分、日本馬22分」だった。今日では、多くのきゅう舎がクールダウンに着目し、レース後も30分が普通になった。藤沢調教師は「習慣が広がったのはジャパンCのおかげ」と話す。日本の競馬界が海外から学ぶべき点はまだまだ多い。今回は来日しなかったが、「天才」エイダン・オブライエン調教師(アイルランド)の仕事ぶりを見るのは、間違いなく有意義だ。世界への窓としての意味が薄れないよう、一層の努力を望みたい。
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