(2/23)硬直した馬房配分――メリット制は始まったが……
JRAのきゅう舎人にとって、「3月1日」はもう一つの元日のようなものだ。新規騎手がデビューし、定年の調教師が勇退、入れ違いに新規開業者がスタートする。今年が例年と異なるのは、通常の新旧交代に加え、メリット制による馬房の増減が行われる点である。JRAから正式な発表はないが、一部の報道は美浦4軒、栗東5軒のきゅう舎が「2馬房増」となり、同じく美浦4軒、栗東5軒が2馬房削減の対象になったと伝えている。メリット制は、初年度で美浦、栗東の成績上下5軒ずつが、馬房変動の対象とされた。ところが、美浦が4軒ずつの増減となったのは、「減」の対象者1人が、70歳の定年を待たずにきゅう舎を閉じることにしたためだ。
1人とは佐藤征助調教師(65)。競馬週刊誌の調教師成績を入念にモニターしている人なら、記憶にある名前だろう。2000年1月から翌年6月まで、1年半近く勝てなかったこともある。近年の成績低迷は著しく、一昨年は賞金・付加賞の獲得額が4361万円。トップ(藤沢和雄調教師)の約50分の1だった。「健康上の理由」による店じまいだが、成績不振も要因だったことは間違いない。JRAの調教師が退職する際の慰労金は、65歳から支給される。佐藤征調教師は1月末で65歳。これが撤退のタイミングとなったようだ。
近年の成績不振を考えれば、「よくここまでしがみついた」という印象を抱くが、実は以下の指摘もある。美浦のある関係者は「本人にはもっと早くから、退く意思があった」と言う。だが、調教師の既得権である貸付馬房を、自ら手放すことに対して、周囲から陰に陽に圧力を受けたのではないか。この関係者はそう見る。
「入きゅう困難」と言われた90年代半ばまでの状況は、不況の影響で様変わりし、今では貸付馬房を埋められない調教師は十指に余ると見られる。実際、故障馬、休養馬の数を含めて、馬房数とほぼ同じ頭数しか管理していないきゅう舎が相当数ある。実際にはこうしたきゅう舎の馬房には空きがあるはずだ。だが、現在のトレセンの人事慣行では、「馬がいないから従業員も削減する」わけには行かない。結局、調教師の持ち出しで給与を支払う例もあるという。こうした実情を踏まえ、前出の関係者は「経営状況に応じて、調教師が自ら馬房を放棄することを可能にすべき」と問題提起する。
佐藤征調教師のような例は別としても、定年間近な調教師は概して成績も落ちる。馬主にすれば、余程の義理でもない限り、期待される若駒を預ける気にはなれないだろう。成績が落ち、従業員の士気も下がる。こうなると、引退間近の数年は、当人にとっても針のムシロである。少しずつ馬房を減らして、店じまいの準備をするのは悪くない考えと思うが、既得権維持を図る組織の論理が、当事者さえ踏み台にして1人歩きするのは、競馬界でよく見る光景だ。
硬直した馬房配分の影響を最も受けるのは、これから調教師を目指す人々である。2月12日に発表された2004年度新規調教師試験の合格者は、美浦、栗東1人ずつでたった2人。受験者が112人で、競争率は56倍だった。今回は美浦の宇野千里・調教助手(36)が、自身二度目の二次試験に進み、初の女性調教師誕生かと注目されたが、合格者が2人では性別うんぬん以前の問題だろう。各年度の合格者数の推移は、94年から2000年まで、なぜか8人か11人という状態が続いたが、今世紀に入ってから7→6→3→2と減少の一途。近年、150人前後で推移していた受験者数がここ2年で激減したのも、「どうせ無理」と見送った人が多かったためではないか。
3月に発動されるメリット制も、硬直したシステムを前提にしたため、競争性確保には程遠い中身となっている。馬房の増減の判断材料となる成績の算定は、2002年に始まっていた。算定項目は、(1)勝利数(2)賞金(3)勝率(4)出走回数(5)実出走頭数――である。勝率以外は、期間中の馬房数で修正し、全5項目について各調教師の偏差値を出し、加算したポイントの上下5人ずつが増減(1回につき2馬房)の対象となる。増減対象は2年目が8、3年目で10となる。
算定方法だけを見れば実に公正だが、問題は増減の対象が標準的な20馬房のきゅう舎に限定されていることだ。各項目とも、馬房数を加味して修正しており、全きゅう舎を対象としても矛盾はないはずである。JRAが行っているきゅう舎関係者表彰では、(1)―(4)までの項目について1位から15位までに単純に15―1点のポイントを与えて加算する方式を採っている。昨年の関東地区トップは開業2年目、14馬房しかない加藤征弘調教師(38)だった。まだ20馬房に満たない調教師は、優先的に馬房を20まで増やすのが現在のルールだが、定年退職者が少ないと待たされる場合もある。「減」はともかく、増の対象から外すのは根拠に乏しいのではないか。それ以外にも問題を挙げればキリがない。増減幅を最大「4」とし、一度、増減対象となったきゅう舎を、翌年は対象外とした点は、メリット制の微温的性格を如実に示している。近年、各きゅう舎の力関係は固定化する傾向にあり、特定の有力きゅう舎と勝てないきゅう舎が4馬房ずつの増減分が行き渡るまで、さほど時間はかかるまい。また、出走実頭数(実際に出走した馬の数)を算定項目にする以上、管理頭数を「馬房数の3倍」に限定するのは矛盾がある。何頭を管理し、走らせるかは各調教師の裁量に任されるべきであろう。
この辺の問題を突き詰めると、何のためのメリット制導入かという疑問に行き着く。建前上は、「きゅう舎間の競争を促進する」ことが目的なのだろう。競争促進を狙うなら、増減幅も最低10くらいは必要だろう。「10馬房減」のきゅう舎が出たら、それは破たんに等しい意味を持つ。だが、勝てないきゅう舎が次々に破たんするような状況を受け入れる覚悟が、JRAにはあるのだろうか? 破たんするきゅう舎の存在は、日本の競馬が金科玉条としてきた「公正競馬」のコンセプトを脅かすからだ。ただ、こうした大状況を別にしても、今回の取られた手法には以下のような問題がある。
一般に、競争を促進するには、意欲と能力を実証した側に、より多くの資源を配分するのが効果的だ。だが、今回は配分すべき資源を、勝てない側への"懲罰"で調達している。こうしたゼロサム的なやり方は当然、当事者の強い抵抗を受け、出てきたものは微温的になる。むしろ、重賞勝利などのポイントに応じて、期限つきの馬房を貸与する方が良い。この場合の原資としては、JRA育成馬用の馬房や、調教済み2歳馬セール購買馬用のTS馬房を転用してはどうか。生産対策に馬房を使っても、結局は本来の目的から外れた形で運用される場合が多いからだ。馬房が増えたきゅう舎は、人の手当ても必要となるが、こうした不定期の馬房に関しては、外部育成牧場の従業員などを、調教師の裁量で臨時雇用する方法もある。器も人も硬直してしまったシステムに少しでも風穴を開けるには、外の血を入れることが欠かせない。すでに免許のある者同士で小さな資源の奪い合いをさせるだけで、「血の入れ替え」を伴わない。コップの中を揺らしただけなのが、今回のメリット制である。
3月7日の弥生賞には、北海道・道営競馬の外きゅう調教馬コスモバルクが、皐月賞出走権をかけて参戦する。導入に費やされたエネルギーの割にインパクトの乏しいメリット制と比べ、わずか1頭の有力馬の破壊力がいかに強いことか。今年は社台グループも外きゅう運用に乗り出す方向となった。免許を持った者だけが競走馬をつくり、レースに臨むという現行制度はもはやフィクションと化しつつある。メリット制導入で危惧(きぐ)されるのは、JRAやきゅう舎関係者が「改革は一段落。しばらく様子を見る」と、立ち止まってしまうことである。競争率56倍の試験で、「経営者」たる調教師を主催者が選んでいる現状がいかに異常で、それによって競馬界が失っているものがいかに大きいか。その点に気付かなければ、急速な時代の変化から、あっという間に取り残されるだろう。
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