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  [日経新聞運動部記者 野元賢一]

  (2/10)摩訶(まか)不思議な免許取り消し劇
 「詐欺師、ペテン師、調教師」という言葉があることを、筆者は数年前まで知らなかった。藤沢和雄調教師が以前、北海道・日高の生産者の招きで講演した際に口にしたという。この発言は、いかにも藤沢調教師らしい韜晦(とうかい)に思えた。調教師に限らず、生産者も施行者も含めた競馬の送り手には、共通点がある。顧客に損をさせながら、競馬との腐れ縁を切らせないよう仕向けるというアクロバティックな仕事ということだ。「詐欺師、ペテン師…」とは、自嘲(じちょう)半分にそんな立場を表現したものだろう。

 田中耕太郎調教師(62、栗東)の免許取り消し事件を聞いて、真っ先に思い起こしたのは冒頭の言葉である。と言っても、起きたことは「トップトレーナーと馬主が繰り広げる心理戦」とは程遠い、余りにも稚拙な寸借詐欺のような話。「詐欺まがい」と表現したメディアもあったが、本物の詐欺師が聞いたら怒るような手口。だました相手が逃げも隠れもできない立場にあることを考えると、あれこれ勘ぐりたくなる。にわかには信じ難い話のオンパレードだ。

 JRAが免許取り消し処分を正式決定したのは5日。取り消し事由は、競馬施行規程41条(6)の「競馬の公正かつ安全な実施の確保に支障を生ずるおそれがある」の一項だ。ちなみに41条(5)は悪名高い「地方競馬のために馬を調教し、もしくは騎乗した」である。以下に紹介する今回の事件の内容が、「競馬の公正」とどう関係する(関係しない?)かを、じっくりと考えて頂きたい。

 5日の記者会見でJRAが"罪状"として挙げたのは以下4点。(1)JRAの内規である「競走馬の取引に関する要綱」に反して、自らの生産馬2頭を馬主への債務弁済として提供した(2)2頭を競走馬登録する際、生産者名が「KOTARO TANAKA」となっていたため、偽装を試みた(3)米国のセリ市場で自らが落札した馬の落札資料を改ざんした上で、購買価格をはるかに上回る額で馬主に転売した(4)自己所有の繁殖牝馬の産駒が死産となったのに、売買契約を締結し、その後、すでに別な馬主に譲渡されていた馬を代替馬として提示するなどして、3回に分けて代金全額を受領した――。

 何より不思議なのは発覚に至る事情である。昨年9月に田中耕調教師が栗東で、2頭の競走馬登録を行った際、添付されたアメリカジョッキークラブ発行の輸出証明書の生産者(母馬所有者)欄には「KOTARO TANAKA」と明記されていた。こんな書類をJRAに持って行けば、事情を聞かれるのは当たり前だろう。その後、同調教師は馬主に「自らが母馬所有者であると装って欲しい」と依頼したのだが、こういうのを世間では泥縄と呼ぶ。実質的な所有者が自分でも、親族や知人名義にしておけば、今回の問題が発覚することはあり得なかった。JRAに、そんな調査能力はない。

 (3)、(4)はさらに不思議だ。セリの価格など、血統とセリの名称や日時さえわかっていれば、インターネットで簡単に検索できる。こんなことも知らずに馬を持っている人がいるとは驚きだった。(4)は典型的な二重売買で、いずれも詐欺や私文書偽造に該当しそうだ。にもかかわらず、現時点で刑事、民事双方の法的措置は取られていないと見られる。(3)(4)の件で訴訟が起こされて、事態が発覚するのが一般社会の常識であり、この点が今回の一件の最大の謎だ。

 では、調教師が馬を生産したり、所有したりすることの是非はどうか? これに関しては、筆者は当コラムでも何度か言及しているが、「世界の常識、日本の非常識」である。海外では、調教師が所有していた名馬は枚挙に暇がない。むしろ、競走馬のような高額な商品のリスクを調教師が負うのは、ごく自然なことだ。日本でも、調教師と極めて関係の深い生産牧場は少なくない。水面下では、調教師が所有関係に絡んでいる馬は、中央、地方問わず少なくないと思われる。発覚しないのは、「KOTARO TANAKA」などという署名を残すようなヘマをする者がいないだけの話である。

 そこで今回の処分だが、(1)(2)だけで免許取り消しという"極刑"を下すのは不可能だった。「競走馬の取引に関する要綱」は、1974年に出された理事長通達で、取引に関与する際は「選定上の見地からの助言的あるいは技術的行為に限ること」とし、実費以外の金品の受領をしないよう指導している。ただ、違反した場合の制裁は、最も厳しい場合でも調教停止か免許不更新である。つまり、(3)(4)が免許取り消しの決定打になったわけだが、これらの行為が「競馬の公正」を脅かすだろうか? はっきり言ってノーである。(1)(2)の対象となった馬は、デンサクノーベル、ウォーターリボーンという2頭の米国産3歳馬で、いずれも問題発覚と前後して栗東の他のきゅう舎に移籍。前者に至っては、一回京都開催でデビューしている。(3)(4)はあくまでも、調教師、馬主間の個別問題で、「競馬の公正」にくくって処分するのでは、制度の不備と言わざるを得ない。

 今回の問題を見ていると、日本における馬主と調教師の関係性について考え込んでしまう。世知辛い不況の時代に、調教師にこんなやりたい放題を許す馬主が本当にいるのか、筆者は今でも疑っている。複数の関係者の話を総合すると、田中耕調教師は金銭的にかなりルーズな人物だったようだ。そういう調教師を「かわいい奴」と許してしまう、旦那(だんな)気質の馬主。30年前ならこういう図式は多かったのだろう。調教師、いやきゅう舎全体が、今とは比較にならないほど貧しかった。だが、状況は変わった。JRAのきゅう舎人は、今や世界の同業者の中で最もリッチな存在。不況どこ吹く風といったムードが、美浦や栗東にはなお漂う。地方の小規模競馬場のきゅう舎人がなめている辛酸とは、いまだ無縁である。

 もし、田中耕調教師のような人が、定員制のない場所で開業していたら、約25年もきゅう舎を営んでいられただろうか。市場原理が働く世界なら、必ずどこかで淘汰(とうた)されていただろう。調教師が馬の取引で負債を抱えたようなきゅう舎は、概して成績も落ちるが、そんな場合もJRAの傘の下にいれば、今回のようなボーンヘッドを犯さない限り、70歳までは営業を続けられる。半ばモティヴェーションを失った調教師に、全部で約4200しかない馬房を貸すことで生じる機会費用を、JRAは決して考えようとしない。

 今回、引き合いに出された内規は、70年代に「馬喰(ばくろう)調教師」が国会で問題化したことを受けて出された。憲法の財産権の保障に抵触しかねない内規で、それでもなお制限せざるを得ないのは、調教師(きゅう舎)を保護しすぎる余り、対馬主で過剰に立場が強くなったためだ。しかも、内規の実効性はほぼゼロ。田原事件と同じ、管理競馬の限界である。属人的なレヴェルで片付けられそうな今回の珍事件も、きゅう舎人を自立した大人にしない、中央競馬の病を映したという意味では、決して特殊な話ではない。



 
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